今日は、「東海道57次」を追う第5回目のウオークをしました。
コースは、香里園〜高麗橋。
高麗橋についた時点でまだ時間の余裕があったので続きに、間もなく取り壊される「軍艦アパート」を訪問しました。

本日のウオーキング歩数、48,300歩。


2006年9月24日(日)




京阪宇治駅着。
今日は「おけいはん」です。



駅舎内へ。



京阪香里園駅着。



駅前商店街へ。
知らない場所を歩くのがとっても新鮮。



淀川堤防へ上がるため大間排水機場を目指します。



車もほとんど通らない、とってもいい雰囲気の道。



堤防下には昔の家並みが。



淀川堤防へ。



堤防に咲く彼岸花。
秋を感じる風景。



淀川新橋着。
東海道57次ウオークコースの今日の起点がここです。



淀川新橋から先は少しの間、旧東海道は堤防の上になります。
「鳥飼仁和寺大橋」通過。



かなたに大阪モノレールの鉄橋が見えてきました。



大阪モノレールの鉄橋着。
淀川沿いは見晴らしがいいので、この鉄橋が見えてからここに着くまで結構時間がかかりました。



淀川の水面に陸のように見える水草の群落がありました。



大阪モノレールや鳥飼大橋の下を越えた少し先で道が分かれます。
ここを左に下ります。



浄水場の近くに園芸広場がありキレイな花も咲いていました。
ん!?
この花はひょっとして・・・・。



やはり!
クリーム色の彼岸花。
初めて見ます。



ここを右折し八雲北公園方面へ。



正迎寺前通過。



京街道の石碑発見。



阪神高速の下をくぐります。



住宅街に入ったり幹線道路に出たりしながらの旧東海道をほぼ正確にたどりながら、歩を進めます。
ここを右。



この石碑がある手前で左の道に入ります。



守口の一里塚着。



一里塚の説明。



よっぽど気をつけていないと、ウオークであっても見逃してしまいそうな一里塚跡。



一里塚を後にして、1606年に教如上人開基の盛泉寺へ。
ここには、大塩平八郎直筆の書簡が保存されているんだそうです。
大塩平八郎の乱での大塩勢の主要戦力のひとつがここ守口・門真出身の人々。
幕府に逆らうと過酷な刑罰が待っているにもかかわらず、彼らは自らの正義を貫いて行動したのです。



境内に咲く美しい芙蓉の花。



更に進んで、蓮如上人建立の難宗寺へ。



塀沿いには、「左京」と刻まれた数基の石碑が。



「すく守口街道」と読めます。



境内にある樹齢500年の大イチョウの樹。
大阪府指定の天然記念物です。



難宗寺を正面に見て右折すると竜田通り。
竜田通りを右折してすぐ左側にこんな駐輪場があります。
ここは何かと言うと・・・・・。



守口宿本陣跡なのです。



竜田通りを更に進み国道1号線と合流する矢島交差点の信号へ。
しかし国道1号線に左折せずその手前の細い道を左折。




カラー舗道の上り坂を進みます。
話は変わりますが、江戸川乱歩はこの辺りの出身。
小説の中で坂が舞台になったりすることや探偵明智小五郎が活躍する構想を頭で練りながら、乱歩がこの守口宿周辺散策している。
そんな場面を想像すると、とっても不思議な気持ちになります。
かつてはここを頻繁に江戸川乱歩が歩いていたかも。



文禄堤の説明板発見。



開発や淀川堤防の改修によってほとんどの文禄堤は消え去りましたが、ここ守口市にはその貴重な文禄堤の一部が今も残っているのです。



竹で巻かれた電柱。
その電柱に「文禄堤」の文字が。



文禄堤は文化財だと書かれています。
まさにその通りだと思います。



本町橋を渡ります。
下は川ではなく道路になっています。



守居橋を渡ります。
ここも下は川ではなく道路です。



義天寺前通過。
寺の境内は工事中でした。
ここ義天寺には野江の刑場にあった「南無妙法蓮華経」の題目石が置かれているそうです。



道が突き当たりになり直角に右に曲がっている場所。
そこの左側にこんな表示が。
この辺りで守口宿から外れます。



日吉公園方面へ。



かなり空腹になってきました。
現在位置が全くイメージできないので、そろそろ昼食にします。
「京都たかばしの新福」がありました。
わざわざこんな所に来てまで新福のラーメンを食べることはないと思い、この近くの中華料理店に入りました。
しかし残念ながら「外れ」でした。
新福にすればよかった。(ーー;)



またまた「京街道」の説明板発見。



路面に「京かいどう」の文字が。



このマークが路面にずっと続いています。



スーパーダイエー発祥の地である千林商店街へ。
アーケードの中を通ります。



商店街の中にも「京かいどう」の石碑が。



初めて通る千林商店街。
私にとってはとっても興味深い商店街です。



何ヶ所もある石碑を見ながら速歩。



古市橋着。



古市橋説明板。



水の都・大阪を象徴する運河。
ここもそのうちの一つです。



関目5南の信号。
ここから大阪市旭区から城東区に変わります。
ちなみに。
「関目」という風変わりな地名は、ここに見張り所があったからついた名前だそうです。
見張り所とは、いわば視認する関所。



お地蔵様の祠前通過。
そう言えば。
今日歩いたコースでは、あまりお地蔵様の祠は見かけません。



ここで都島通りの道と分かれ、右側の道へ。



京街道の石碑。
これまで見てきた石碑は異なり、漢字で「街道」と刻まれています。



旭国道筋商店街へ。



旭国道筋商店街を抜けてすぐに右側の道へ。
道の入り口には「京街道」の石碑が。



平耳鼻科という所で左折。
少し行くと道は二手に分かれるので右の道へ。



「京かいどう」の石碑。
場所ははっきりとしませんが、街道のこの近くには野江の大きな刑場があったようです。
当時のその場所にあった「南無妙法蓮華経」の題目石は義天寺に移されました。



リブストリート商店街へ。



商店街へ入り、ここで道は二つに分かれます。
ここを右へ。



京街道案内碑がありました。



商店街を抜け、国道1号線に出ます。
交差点を渡ってから大阪環状線のガードを越えてすぐ左折です。



土佐堀通りをどんどん西へ。
大阪城が見えてきました。



京橋近くにある「京橋川魚市場跡」の碑。



京橋川魚市場跡の説明板。



京橋を渡ります。
大坂橋下の橋が京橋だとは全く知りませんでした。
京橋って、京橋駅のすぐ近くだと思い込んでいました。(^_^;)



夕刻の美しいクリスタルビルをかなたに望む。



日経ビルの北東角にある石垣。
これは1620年の大坂城再築で城北の旧大和川の左岸の護岸用石垣で、ビル工事で地下から発見されたものをここに移築したものだそうです



大阪ドーンセンター脇の石垣。
この石垣は、1614の大坂冬の陣の和解条件として家康によって取り壊わされた大坂城三の丸の石垣で、ドーンセンター建設の際に地下から発見されたものを移築復元したもの。



石に刻んであるマーク。
このマークで、どこの藩がこの石を提供したが一目瞭然で分かる仕組みでした。



OMMビル前通過。



永田屋昆布本店の前に、八軒家船着場跡碑があります。
ここは平安時代には渡辺ノ津と呼ばれていました。
渡辺とは「向かい側に渡る渡し
場」という意味だったとか
そうそう。
一条戻り橋の鬼を退治した渡辺綱は、この地の出身だそうです。



天神橋横通過。



ついに高麗橋着!!



里程元標跡碑と高麗橋案内碑などを発見!



ついに高麗橋にやって来たんだってことを実感。



高麗橋。
大阪市内の真ん中にあるのに実に静かな橋です。



大津以西の東海道を歩き抜いた余韻に浸りながらも、まだ時間が早いことに気づきました。
「軍艦アパート」を目指すことに。
西町奉行所址通過。



松屋町(まっちゃまち)を進撃。
巨大な鯉のデコレーションがかわいい!



生国魂神社へ少しだけ寄ることに。



境内の井原西鶴像。



南坊址の石碑が。



生国魂神社を後にして、解体工事が始まり取り壊されるまでにぜひ一度来たかった軍艦アパートへ!



軍艦アパートの正式名称は大阪市営下寺住宅。
浪速区に存在するこの住宅は、煙突から立ちのぼる煮炊きの黒い煙の様子から「軍艦アパート」と呼ばれ親しまれてきました。



軍艦アパートが建設されたのは1930年(昭和5年)。
かまどや水洗トイレを完備した最新鋭の住宅として、完成当時は大きな話題になり「下寺町御殿」とさえ呼ばれました。
その軍艦アパートは、老朽化が激しくあと数ヶ月で取り壊される運命。



実はここ軍艦アパートは、日本最古の公営鉄筋コンクリート製住宅。



解体されるまでにここに来ることができて「本当によかったな」って思います。



戦時中の米軍の度重なる空襲や、阪神大震災の激しい揺れにも耐えてきた軍艦アパート。
その「歴史の遺物」とも言える強靭な建物が 老朽化には抗し切れずについに消え去ろうとしています。
建設以来76年が経過し老朽化が激しく致し方ないのかもしれません。
でも・・・・・・・。
そんなことは分かっています。
それでも、分かっていながらもとっても寂しい気がします。



原型が分からないほど増改築を繰り返されてきた建物。
増築が始まったのは戦後の住宅不足の頃で、ベビーブームの頃に増築のピークに達します。
増築部分は「出し屋(だしや)」「出屋(でや)」などと呼ばれていました。



76年の間 人々の喜びや悲しみを静かに見守り、そしてそうした人々を暖かく包み込んできた軍艦アパート。



歓声を上げて廊下を走りまわる子どもたちの声を、もう2度と軍艦アパートは聞くことはできません。
軍艦アパートは その役割を終え、あと少しの時間で跡形もなく消え去ってしまいます。



建物そのものは解体されてなくなってしまっても、軍艦アパートは人々の心の中にきっといつまでも存在し続けることでしょう。
さようなら・・・・・。
軍艦アパート。



軍艦アパートの近くを散策していると、こんなことが書いてあるのを見つけました。
蛇のことを「口縄」と言うんですね。
なるほど。
「口がある縄」あるいは「口がついている縄」ですか。
実にうまい表現です。



口縄坂を目指すことに。



これが口縄坂です。



口縄坂を上がり、何ヶ所かのお寺にお参り。
この辺りはお寺が密集する地区。
寺町の建設は豊臣秀吉の時代、大阪城築城と同時期。
大阪夏の陣(1615)の後に大阪城主に任ぜられた松平忠明による寺院移転・統合により現在の寺町が形成されたとされています。



称念寺には徳川時代に岸和田の海中から発見された石仏が一願観音として安置されています。



称念寺にお参りし、口縄坂を上がりきって坂の反対側に出ると「四天王寺」の文字が。
寄ってみることに。
四天王寺の地蔵尊へ到着。



お地蔵様に心を込めて世の安泰を念じました。



おもかる地蔵尊。
2つのことを念じます。
持ち上げたら軽く感じました!



おもかる地蔵尊の説明。



広い境内をゆっくりと歩いて周ります。



建物の内部に入ります。
四天王寺は何回か来たことがありますが、こんな建物の中にはいるのは今回が初めて。



境内をゆっくりと周っていると、心が次第に安らいでくるように感じます。






転法輪。
回します。



転法輪の説明。



今日は秋の彼岸。
お参りする人がとっても多かったです。



きらきらの仏像が。



四天王寺を後に。



地下鉄谷町線の夕陽ケ丘駅から電車に乗り天満橋へ。
天満橋からは京阪特急で。
特急では最前列の席に陣取りました。
出発進行!



夕陽を車窓から眺めます。



木津川の鉄橋通過。
夕陽が運転士の背中をオレンジ色に染めます。



車内で迎えた日没。



京阪宇治駅着。



駅の外に出るともう黄昏時。



家路を急ぎます。
さて、もうひと歩き!






東海道57次の大津以西は、今日のウオークで全て歩破できました。
今日訪れた「軍艦アパート」は、解体前にその姿を見ることができて本当によかったです。
歴史の証人でもある軍艦アパート。
その姿はこの眼でしっかりと見、そして写真で保存できました。
とっても充実したいい時間が持てた、そんな秋の一日でした。


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