特別レポ「さようなら!軍艦アパート」


今日は、「東海道57次」を追う第5回目のウオークをしました。
57次を歩き終えてから、ずっと行きたかった軍艦アパートに行きました。
その軍艦アパートを写した全ての写真を使った特別レポです。

2006年9月24日(日)




ついに軍艦アパートに到着!



ゆっくりと歩きます。
大きな道路からほんの少し入っただけなのに静寂が辺りを包みます。



かつての生活の雰囲気こそまだ残っているものの、寂しさが漂う軍艦アパート一帯。



住宅の反対側に回りました。
こちら側は光線の具合が良好で、建物がとってもよく見えます。



6畳と4畳半、それに台所がついているのがこのアパートの一部屋の標準的な広さだそうです。
その一部屋に1世帯10人ほどの家族が住んでいた時代があったのです。



かつてはここに、子ども達の歓声が響き渡っていた時代があったのです。



今でも、元住民の方で時々ここへ来られる方があるそうです。
かつて自分が生活していた家がそこに見えているのに入れないもどかしさ。
その気持ちがとってもよく分かります。



軍艦アパートは、私が想像していたよりもはるかに広かったです。



石灰ツララが垂れ下がる庇。
年季が入った木材。
長い間、お疲れ様でした。



軍艦アパートの正式名称は大阪市営下寺住宅。
浪速区に存在するこの住宅は、煙突から立ちのぼる煮炊きの黒い煙の様子から「軍艦アパート」と呼ばれ親しまれてきました。



写真を撮った時には全く気づきませんでしたが、壁に風呂敷をマントにしたような少年が写っているように見えます。
ひよっとして、遠くから歩いて軍艦アパートの解体される前の姿を見に訪れた私に座敷ワラシが挨拶してくれているのでしょうか・・・。



偶然にも少し近づいて同じ場所の写真を撮りました。
上の写真を撮ってからまだ1分も経っていないのに、さっきの人影はもうありませんでした。



実はここ軍艦アパートは、日本最古の公営鉄筋コンクリート製住宅。



解体されるまでにここに来ることができて「本当によかったな」って思います。



戦時中の米軍の度重なる空襲や、阪神大震災の激しい揺れにも耐えてきた軍艦アパート。
その「歴史の遺物」とも言える強靭な建物が 老朽化には抗し切れずについに消え去ろうとしています。
建設以来76年が経過し老朽化が激しく致し方ないのかもしれません。
でも・・・・・・・。
そんなことは分かっています。
それでも、分かっていながらもとっても寂しい気がします。


軍艦アパートの周りには車が停まっているわけでもなし。
静けさだけが漂います。



原型が分からないほど増改築を繰り返されてきた建物。
増築が始まったのは戦後の住宅不足の頃で、ベビーブームの頃に増築のピークに達します。
増築部分は「出し屋(だしや)」「出屋(でや)」などと呼ばれていました。



76年の間 人々の喜びや悲しみを静かに見守り、そしてそうした人々を暖かく包み込んできた軍艦アパート。



引越した人達の中には、不要なものは置いていった人もあるようです。
まだ生活の臭いが漂っているような部屋もありました。



歓声を上げて廊下を走りまわる子どもたちの声を、もう2度と軍艦アパートは聞くことはできません。
軍艦アパートは その役割を終え、あと少しの時間で跡形もなく消え去ってしまいます。



建物そのものは解体されてなくなってしまっても、軍艦アパートは人々の心の中にきっといつまでも存在し続けることでしょう。
さようなら・・・・・。
軍艦アパート。




歴史の証人でもある軍艦アパート。
その姿はこの眼でしっかりと見、そして写真で保存できました。
とっても充実したいい時間が持てた、そんな秋の一日でした。


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