今日は、「東海道57次」を追うウオークの4回目を行いました。
コースは、淀〜淀川新橋。
本日のウオーキング歩数、52,214歩。
2006年9月17日(日)
自宅を午前10時前に出発。
あちこちに寄りながら、まずは足ならし。
きれいな花。(^^♪
JR奈良線・宇治駅前通過。
空がとってもキレイ!
宇治橋近くのJR線路。
全く話題にもなりませんが、レンガ造りの構造物はかなりの年季が入っている模様。
右側の建物は宇治市民会館。
宇治橋へ。
宇治川を渡る電車(103系)。
京阪電車宇治線・宇治駅。
宇治駅構内へ。
中書島経由で淀へ。
今日はなぜか淀に急行が停まります。
「何でかな〜?」って思っていると、駅の放送で「今日は京都競馬開催のため急行は淀駅に臨時停車いたします。」って。(^_^;)
日本橋を起点に考えると、旧東海道の55番目の淀宿。
伏見から5kmあまりしか離れていません。
細かいコースが分からないので、とりあえず淀駅から旧東海道を八幡方面に向かって進みます。
コンビニ前で道が二つに分かれますが、ここを右に。
「馬匹輸送」の文字が。
淀らしさを感じます。
川辺の散策路。
ほどなくT字路に。
ほとんどの車は左に曲がり宇治川の方に行きますが、旧東海道は突き辺りの少し下り坂になった道を直進します。
街道らしい雰囲気が漂います。
西岸寺前とNTT淀別館前を通り過ぎ、この角で右折。
淀にこんな場所があることは、これまで全く知りませんでした。
ここを左折。
歴史がありそうな古い家並みを眺めながら進撃。
圓通寺前通過。
家並みが途切れ田園風景が現れました。
雄大な風景。
収穫までいくらもない様子の稲。
実りの秋を感る風景。
松ヶ崎記念病院前通過。
まだヒマワリの花が咲いていました。
ヒマワリの花にはとっても生命力を感じます。
京阪電車の鉄橋が見えてきました。
更に直進し京阪電車のガードをくぐります。
そしてすぐに左の細い道へ。
実るほど頭をたれる稲穂かな・・・・・。
細い道を突きあたり、宇治川の堤防上へ。
昔はこの辺りで船に乗り、宇治川と木津川を渡っていたようです。
御幸橋を渡り、宇治川と木津川を越えます。
御幸橋。
御幸橋で宇治川と木津川を渡りきり信号を直進。
歩行者用道路を八幡市駅方面に下ります。
大きな石の前を通過。
京阪国道の記念碑。
路傍の石地蔵様。
八幡市営自転車「駐車場」横を右折し橋本方面へ。
のどかな風景が広がります。
推定樹齢1000年の大きな楠。
楠の大木の下通過。
石清水八幡宮への道との交点。
直進です。
橋本に入りました。
街道らしい風景。
旧遊郭だった橋本。
その頃の建物が現存しています。
いつまでも残しておいて欲しいと感じる家並み。
2階から「お兄さん寄って行かない?」って声が聞こえてきそうな気がします。
小金川地蔵尊に参拝することに。
小さな地蔵堂ですが、この小金川地蔵尊にはとっても不思議な言い伝えがあります。
地蔵尊の言い伝え。
今はひっそりとしていますが、かつては多くの旅人が行きかった橋本。
旧遊郭の建物が多く残っている橋本をあとにします。
京阪本線の踏切を渡り樟葉を目指します。
左手前方に久収園院の姿が。
久収園院。
ここには枚方市有形文化財に指定されている律師作の天球儀と地球儀があるそうです。
進行方向右側には京阪電車本線が通っています。
この辺りが八幡市と枚方市の境目。
戊辰役橋本砲台場跡。
黒船対策用の砲台でしたが黒船に使われることはなく、戊辰戦争で幕府側に使われました。
住宅街に入りすぐ右折。
長州藩の参勤交代の時の休憩場だった久報恩寺前通過。
朽ち果てる寸前の久報恩寺山門。
あるいは当時のものかも。
突き当たって左折。
左手に樟葉取水場がある辺りから、道路がカラーに変わります。
枚方市では旧東海道をカラー舗道にしているそうです。
もう秋の風情が感じられます。
街道らしい雰囲気になってきました。
この辺りに来るのは初めて。
すっごくいい雰囲気の所です。
もっと涼しくなれば、また愛妻と共に来たいなあ・・・・・。
旧京街道の石碑。
カラー舗道が途切れます。
旧東海道はここを斜め右に伸びていましたが、今は京阪電車の線路になっています。
ここから先は18号線を進みます。
この辺りでSINさんと合流。
SINさんと共に楽しく昼食タイム。
昼食終了後SINさんと分かれて更に進撃。
旧東海道は京阪電車牧野駅の敷地内をを斜めに横断し穂谷川に沿って伸びています。
穂谷川沿いへ。
雨が降ってきました。(>_<)
明治橋を渡ります。
明治橋を渡ってからしばらく進んで堤防沿いの道から外れます。
右へ。
新今池公園を過ぎると左側に石碑が見えてきます。
これは左側の石碑で「京都」と刻まれています。
反対側には「大阪」の文字が。
道標の役割を果たす石碑があるこの細い道は、秀吉が本殿を造営した片埜神社の参道です。
黄金町を越えて京阪本線の踏切を渡ります。
少しだけ街道の雰囲気が漂う道。
道沿いにはススキの穂があちこちで見られます。
三栗郵便局を通り過ぎ、再び13号線へ。
渚西の信号の近くにある踏み切り内には、こんな石碑が。
「高麗橋6里」と刻まれています。
磯島の信号で13号から離れ左の細い道へ入ります。
こんな石柱がなぜか倒れていました。
間もなく到着する「天の川」は川の流れが美しく古来より天上の銀河と見なされ、平安貴族のあこがれる場所でした。
その天の川は地名にもなっています。
天の川着。
堤防に上がります。
昔はこの辺りで渡しを使って対岸へ渡っていました。
紀州藩の参勤交代の際には仮橋が架けられ、その間は一般の人達も有料で橋を渡ることができました。
かささぎ橋。
この川に橋が架けられた際に、中国の七夕話の「天の川にカササギの群れが集まって橋を作り、牽牛と織姫との橋渡しをする。」という話からこの橋は「カササギ橋」と呼ばれるyouになったそうです。
このカササギ橋と向こうの京阪電車の中間辺りに旧東海道の渡しがありました。
カササギ橋を渡ってすぐに左折。
道が90度に曲がっている場所に枚方宿東見附跡の碑が。
東見附の説明板。
旧東海道は、天の川の対岸からここ見附で合流します。
問屋役人小野平右衛門の家跡前通過。
安居川枚方橋跡。
枚方橋跡。
左手に枚方市駅を見ながら更に前進。
宗左の辻着。
角野宗左の屋敷があった場所なので、そう呼ばれています。
反対側には追分道標が。
正面には「右大坂道」と刻まれています。
右側の大きな道路の交差点を横断し、ビオルネ枚方の商店街へ。
こんな石碑がありました。
岡本町公園。
京街道と枚方宿の説明板がありました。
新しく建設された建物のようですが、それでも街道の雰囲気が感じられます。
この建物は何だと思いますか?
マンションなんです。
常夜灯の下には新しい石柱が。
常夜灯。
いい雰囲気。
「くらわんかギャラリー」前通過。
三矢は本陣があった場所。
その名前が今も地名として残っています。
本陣跡。
今では公園になっています。
かなり古そうな石碑。
本陣を防衛するための枡形道。
蓮如上人の弟子である岩見入道浄念開基の浄念寺前通過。
歴史ありそうな家ですが、かなりおくたびれのご様子。(^_^;)
ずらりと並ぶ石柱。
鍵屋横の小さな地蔵の祠。
鍵屋着。
鍵屋内部へ。
撮影は可能ですが、この建物内はフラッシュ禁止。
大きな部屋にはキレイなものがかけてありました。
小さな仏像。
鍵屋の土の中から出てきたもの。
当時の生活の様子が再現されていました。
当時の武士の衣装や生活の道具。
くらわんか船。
別棟へ。
こちらはフラッシュ撮影が可能。
籠がありました。
灯りなど。
こちらはかなり大型の籠。
千両箱。
千両と言えば今の金額で1億円ほどのようです。
と言うことは、1両が今の10万円ほど。
建物から出ました。
鍵屋をあとに。
雨の中を更に前進します。
桜町通過。
ここも元遊郭で、当時の名残を残す建物もあります。
桜町を過ぎて少し行くと橋があります。
その橋の下へ降りてしばし散策。
三十石船のモニュメントがありました。
橋の上流へ。
川はここで暗渠です。
ここはどうやら合同樋門跡のようです。
合同樋門の辺りから道がさっぱり分からなくなりましたが、それでも前進。
洪水碑がありました。
古来から、淀川は暴れ川でした。
2006年3月31日で閉校してしまった枚方西高校前通過。
光善寺前通過。
合同樋門からずっと分からなかった旧東海道の道ですがこの辺りでやっと分かりました。
水害寺に家具などが水に浸かるのを防ぐため、石垣の上に造られた蔵。
枚方ではこんな蔵をあちこちで見かけます。
親鸞聖人 蓮如上人 御田地」と刻まれた大きな石碑。
石碑の奥には蓮如上人が腰掛けて説法したとされる「腰掛石」が。
街道の雰囲気が濃厚な道を進みます。
樹齢が70年を越える柿の木がありました。
しばらく進みマンションの横を越えると、前方に松ヶ鼻の地蔵の祠が見えてきます。
松ヶ鼻の地蔵の祠。
祠の所を淀川の堤防に上がらずに左折。
文禄堤を歩きます。
ここで直進する道は行き止まり。
淀川堤防へ。
堤防着。
いつも自転車で走っている道です。
大間排水機場付近。
枚方市と寝屋川市の境界です。
石碑。
美しい淀川新橋。
さて帰ろうっと。
って言っても、京阪電車の駅がある方向がさっぱり分かりません。(>_<)
ウロウロと歩きまわっていたら「四条畷まで5km」の標識が。
それでもやっと香里園駅まで行くことができ、そして無事に帰宅しました。
旧東海道53次を追う旅は、大津宿から西はあと1度のウオークで歩ききります。
歩ききれば、次は東の攻略を始めようっと。(#^.^#)
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