今日は、「東海道57次」を追う初ウオークをしました。
コースは、大津〜山科。
古い街道を追う旅に心が弾みました。

本日のウオーキング歩数、27,330歩。


2006年9月2日(土)




六地蔵から地下鉄に乗りました。
地下鉄・六地蔵駅から京阪電車・浜大津駅までは、510円でした。



御陵駅で京阪線に乗り換えます。
路線案内図。
京都市役所前から京阪電車に乗れるようになっていたのですね。
全然知りませんでした。(>_<)



御陵と書いて「みささぎ」と読みます。
「御陵」は難読地名のひとつと言えます。



京阪電車・京津(けいしん)線の車内。
かなり急なカーブを曲がりながらゆっくりと進みます。



浜大津駅に到着。



下車。



浜大津駅の上にある連絡橋へ。
いい天気!



この連絡橋をまっすぐに行って下に降りると、信号に煩わされることなく浜大津港に行くことができます。
連絡橋の先で、琵琶湖を眺めている人がいます。



浜大津ヨットハーバーを望む。



琵琶湖の雰囲気って最高です。



浜大津港へ。



浜大津港にはミシガンが停泊中。
お客さんの乗り込みが終わったようなので、間もなく出航のようです。



美しく優雅なミシガン。



ミシガンちゃん、25才のお誕生年おめでとう!



出航セレモニー。
頭上に投げ上げた旗を見事に受け止める人達。
いよっ!ブラボー。



出航〜。



今日はウオークなので、ミシガンを追いかける事はできません。
ミシガンちゃん、、行ってらっしゃ〜い!



浜大津港を後に。
空がキレイ!



浜大津駅の上の連絡橋に再び上がり、後ろを振り向きます。
また琵琶湖に来るからね〜。



国道161号線を進みます。
歩いていて、懐かしい場所に来ました。
我が家では年子3人の子宝に恵まれたので、子どもが小さい時にはどこにも行けませんでした。
しかし小旅行くらいはしたかったので、妻と共に子ども3人を連れて ここ浜大津に1泊する小旅行をした事があります。
その時に利用したコインランドリーがこの付近にありました。
小さかった子ども達も大きく成長し、今では3人とも大学生。
浪人する事もなく全員が国公立に無事に入学し、現在は大学2回生、3回生、4回生。



「旧東海道」の文字が。



この通りに「旧東海道」と書かれたお店の宣伝が多くあります。
旧東海道がこの道なのです。



かつては、この道の両側に多くの旅籠がありました。



札の辻到着。
旧東海道は、この札の辻に至って「大津宿に着いた」ということになります。



東海道の宿場で一番人口が多かったのが、ここ大津宿。
今では、道路の中央に電車が通っています。



真新しい道ができていました。



この場所で、京阪電車の線路は道路から外れて専用の軌道敷に入ります。



大津宿本陣跡発見!



付近を歩きまわっていると、こんな説明を発見。
地名の由来が書いてあります。
で、石碑ってどれだろう・・・・。



発見!
大津宿本陣跡です。
先ほどの横書きの「本陣跡」の説明板から50mほど離れています。
本陣って、きっと大きなものだったんでしょうね。



横には「明治天皇聖跡」の石碑。



足元の歩道にはこんな説明が。



「大津宿本陣跡」全景。
よく観察していないと見落としてしまいそうなほど、ひっそりと存在しています。



道路を反対側に渡り、先ほどの横書きの「本陣跡」の説明板の向かい側を通過。
さっきは気づきませんでしたが、こちらから見ると大きく「大津宿本陣跡」と書かれています。



レトロチックなお風呂屋さん前通過。



関猿丸神社の下社前。



境内へ。
「逢坂の関」の文字が読み取れます。
関猿丸神社は逢坂の関を守るため建立されたとされています。



参拝します。
猿丸神社は、音曲・芸能の神でもあるんです。



本殿。



関猿丸神社へ行くは、京阪電車の踏切を渡らなくてはなりません。
元来た道へ引き返します。



安養寺着。



「逢坂」の名前の由来碑。



こんな石碑も。



国の重文である「阿弥陀如来坐像」が本尊の安養寺。



安養寺を後にして、京大防災研究所着。



防災研究所の敷地内には、鉄道記念物である「旧逢坂山ずい道東口」が残っています。



ずい道とはトンネルのこと。
旧逢坂山ずい道は、日本人技術者が外国技術の援助を得ずに設計・施工した我が国で初の山岳ずい道。
ここは歴史的な意義がある、そんなずい道跡なのです。




上り線トンネル入り口。
内部は京大研究施設になっています。
このずい道の反対側の入り口は、名神高速道路の工事で破壊されてしまったんだそうです。(>_<)



下り線のずい道は、途中まで中に入ることができます。



防災研究所を後にして、国道1号線着。
ここを横切ります。



関猿丸神社・上社前には押しボタン式の信号があるので、その信号で道の反対側に渡ります。
関猿丸神社の上社着。



関猿丸神社・上社に参拝。



参拝完了。
短時間なのに、短パンの足を蚊に食われてしまいました。(;一_一)
再び国道1号線へ。



逢坂常夜燈前通過。



東海自然歩道・逢坂山歩道橋下をくぐります。



なにやら石碑がありました。



逢坂山の傾斜を上りきりました。
国土交通省逢坂山スノーステーション前には、「逢坂山関跡」の石碑が。



「逢坂山関跡」の石碑跡の左側には「逢坂常夜燈」が。



下りにかかる手前のここで国道1号線と分かれて、右に進路を取ります。



うなぎで有名な「かねよ」前通過。



道の左右に「かねよ」の建物がたぅさんあります。
ついには、かねよのバスまでやって来ました。
「かねよ」は、江戸時代からうなぎで既に有名だったんだそうです。



また、猿丸神社がありました。
「村社」です。



「車石」の説明がありました。
大津〜京都三条間の牛車の往来を容易にするため、花崗岩にわだちを刻んだものが製作されました。
それを敷き詰めて牛車専用通路ができ、その石は「車石」と呼ばれていました。



「車石」の「実物。



参拝します。
やけに長い階段。(^_^;)



階段を上がりきりました。



村社猿丸神社の本殿。



参拝を終え、更に前進。
「右京三條みち 左伏見奈良街道」と刻まれた石碑が。



近くには、「元祖走井餅本家」と刻まれた石碑。
走井餅は、大津名物として安藤広重の「東海道53次」にも描かれているそうです。
しかし残念ながら、走井餅本家は昭和の初めに廃業されています。



京阪電車・大谷駅を越えて、陸橋で国道1号線を渡ります。



陸橋上から見る、京阪電車・京津線の大谷駅付近。



国道1号線沿いの歩道をひた歩き。



まだ暑いけれど、夏の季節はもう終わり・・・・。



「逢坂山・名水餅」と描かれた看板。
しかし、看板の下にはお店はありませんでした。



大津算盤の始祖である片岡庄兵衛さんの住居跡。



その説明。



「走井茶屋」の跡地に建てられた月心寺。
お店のように見えますが、ここはお寺なのです。



石碑が。



きれいな花を眺めながらテクテク。



普段はこの先を左折して宇治を目指します。
しか〜し!
今日は直進。



名神高速の高架を越え更に前進。
旧東海道は、この交番がある角で左折します。



交番の横で左折し、仏立寺着。



仏立寺境内へ。



お参りを終えました。
境内には、改築前の大屋根の鬼瓦が保存してありました。



多くの人が行き来した東海道の面影は今はもう、全くありません。
しかしなぜか、私にはこの東海道を通った人の息吹が聞こえてくるようなそんな気がしてきます。



髭茶屋追分へついに到着!
ここで道は二つに分かれます。
右へ行くと東海道53次の西の起点である京都三条。
左へ行くと東海道57次で、伏見を経由して大阪の高麗橋に至る道。
ここが東海道の「53次」と「57次」の分かれ道。
東海道53次を越えて57次に向かうための東の起点が、ここなのです。



東海道53次を離れて、東海道57次に道を歩みます。
昔の人もこんな風景を眺めながら歩いたんでしょうか・・・・。



牛尾山。
懐かしい響き・・・・。
でもなくって、この冬には京都一周トレィルコースに再び挑戦予定。



石の地蔵様。
日本の庶民宗教の原点が、あるいはこれなのかもしれません。



名神高速下をくぐります。



名神高速。
はかないものとは言え、ある意味で文明の凄さを感じる風景。



名神高速の高架下を越えて、信号を更に直進。



音羽病院前。
ここを左折。



国道1号線に至ります。



山科大塚の交差点。
東海道57次のコースは、ここを左折。



名神高速の高架をくぐる直前の左側に、「ひだりおおつみち」と刻まれた石碑が。



名神高架をくぐって少し歩くと、「妙見宮」の石碑。



愛宕山常夜燈前通過。
灯りがほとんどなかった昔の旅人にとって、暗くなってからの「常夜灯」の灯りは最高に心強かったんだろうなあ・・・。



縁結びの宝迎寺前通過。



宝迎寺境内。



何度も車で通ったことがある道ですが、昔の人の往来の風景を感じながら歩く。
この道に対して、車で通り過ぎるのとは全く違った印象を持ちました。



岩屋神社前着。



参拝することに。
しっかし、遠いなあ。
赤い鳥居からずいぶん歩いたのに。(~_~;)
名神高速の下をくぐります。



ゲゲッ!
長い階段が。(@_@;)



やっと、岩屋神社に着きました。



本殿に参拝。



岩屋神社境内を後にし、10分ほどで大宅中ノ辻バス停広場着。
愛宕常夜燈がありました。



大宅中ノ辻バス停広場の木。
この木の下には、東海道の東の起点である日本橋から数えてここが119番目の一里塚なんだということを知ることができる跡があるとか。
しかし若い女性がバス待ちをしていて、私がうろうろと辺りを歩きまわるのを警戒してか、ベンチに置いていた手荷物をバスがまだ来ていないのに手でしっかりと持ちました。
「偉い!お譲さん」と思いながらも、その時点で私はこの付近の探索を諦めました。
若い女性が一人でバス待ちをしている付近をうろうろしながら、木の下の雑草をかきわける。
思い切り怪しいですがな。(>_<)
この木の下を探索するなら、冬枯れの時期、それもバス停に誰もいない時がいいと思います。



大宅中ノ辻バス停広場には、岩屋神社御旅所の石碑も。



大宅中ノ辻バス停広場を後に。
再び名神高速下を越えます。



道が登りになった最初の信号を右折。
ここから先は、山科警察の建物を右に見ながら前進。



愛宕常夜燈発見。



既に、奈良街道に入っているようです。



東海道57次はここを右折します。
しかし残念ながら時間切れ。
東海道57次探索の旅を終えここでUターン。
六地蔵へのコースに。



随身院横を通過。



東海道57次からは離れましたが、それでも郷愁を感じる建物などを見ながら速歩。



テクテク。



屋根の下に「水」の文字が見えます。
あれはどういう意味なんだろう・・・・。
防火を祈念しているのかな、あるいは水害忌避?



醍醐寺境内へ。



金剛力士像前通過。



醍醐寺境内には様々な建築物が。



醍醐寺境内を後にして川沿いを西に。



歩き易い川沿いの道。



実りの秋も間近。
さて、先を急ごうっと。
愛妻を迎えに行かなくては!



歴史の不思議。
学校で習わなかった事実がいっぱいあります。
奈良大仏鉄道、京都大仏、御土居、そして東海道57次。
歴史って面白い!


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