今日は、京都に残る貴重な戦争遺物を見に京都市街へ。

日本は世界に先駆けて「有人ロケット」を開発。
その名は「秋水」。
まさに技術立国日本の粋を集めたと言える、当時としては画期的なできことでした。
ただ、戦争目的ということがとっても残念。

ロケット戦闘機の性能は素晴らしいものでした。
B29を迎撃するために開発された「秋水」は、何と離陸してから3分半で高度1万mまで上昇する性能だったのです。
その「秋水」が完成したのは、敗色濃い戦争後期。

戦争後期は金属が極端に不足。
金属不足が深刻な時期、そして「秋水」の燃料には過酸化水素水を使うので装置の腐食を防ぐため、精製装置として耐酸性がある陶器が選ばれました。
そのロケット燃料精製用の陶器製装置が、今でも京都に残っているのです!

補助貨幣(コインのお金)の金属を溶かして兵器にし、コインは京都で焼いた陶器製にする計画も具体化し陶器製の貨幣の試作品も京都で製造されました。
金属不足のため、陶器製の手榴弾さえも京都で製造。
当時は家庭からは鍋・釜などの金属類が集められ、愛宕ケーブルの線路などの金属類も軍事用に転用するため撤去され接収されました。
話でしか知らなかった当時の世相が、とってもよく分かりました。
そして「たこ入道」保存の大切さも感じることができました。

本日のウオーキング歩数、20,525歩。

2006年8月18日(金)




今日は休暇を取っています。
朝日新聞で見た記事にあった「陶器製のロケット燃料精製装置」を見るため、昼食を済ませてから京都市街へ向かうことに。
昨日は暑過ぎたし、汗ばんだお尻がサドルでこすれて痛くなったので、今日は自転車でなく「電車+ウオーク」にします。
JR奈良線宇治駅着。



うまいことに、「みやこ路快速」がちょうどやって来ました。(^^♪



「みやこ路快速」を東寺駅で下車。
東山通りを北上。



JRの線路の上を越えます。
「今熊野橋」という、結構古そうな石の表示が。



智積院(ちしゃくいん)近くに咲くきれいな花。



智積院前通過。



貴重な戦争の遺物がある「藤平陶器」さんへ行きましたが、門が閉ざされていました。
そこで、藤平陶器さんのギャラリーカフェに入り冷たいフルーツティを注文してから、おしとやかで愛想がいいお店の女性に「たこ入道」(「秋水」の燃料精製装置の愛称)のことを尋ねました。
すると「普段は公開しているんですが、お盆の関係で今日まではお休みをいただいています」って返答が。(>_<)
でも続けて、「少しお待ちくださいませ。店は休みをいたただいていますが、見学ができないかどうか確認させていただきます。」との言葉が。
そして何と!
「人がおりますので、見学していただけます。今から門を開けます。」とのことでした。
「暑いので、どうぞ涼んでからお行きください。」との言葉に感謝しながらお店を後に。
そして、「器の学校・陶悦」敷地内へ。
これが「たこ入道」です!



「たこ入道」の説明。
高さ1.7m、直径0.8mのこの陶器製のロケット燃料精製装置は、藤平陶芸の造った2つ目の装置。
最初のものは、三重県四日市市の第二海軍燃料廠に納められました。
当時の登り窯では「たこ入道」が大きすぎて入らなかったので、二つの窯を壊してひとつの大きな石炭窯を造って焼いたそうです。
でも、二つ目の「たこ入道」を焼いている間に敗戦に。
迷った挙句、結局陶工達は焼き上げます。
焼いた「たこ入道」は二つだけですが、このロケット燃料精製装置を造る過程では何度も何度も失敗があって、そしてやっと焼くことができるものが開発できたんだそうです。



「たこ入道」の内部。



店休日の藤平陶器さん。
わざわざ門を開けていただいた上、様々な説明もしていただきました。
この陶器製の物。
何だか分かりますか?
戦争に関係あるもので、貴重な現物です。



これがレプリカ。
名づけて「藤平手榴弾一輪挿し」。
何と!陶器製の手榴弾があったのです。
制空権も制海権も失ってしまった日本には、海外から物資が入ってこなくなりました。
「第二次世界大戦、物資の少ない日本は全国各地の陶芸職人たちに陶器製の手榴弾を製作させました。世界でも例を見ないこの異形な形態を持った兵器に出くわした時、戦争という事象の本質に対して時代を超えた理解を感じずにはいられません。(中略)一人でも多くの人に驚きと戦争への関心と平和への願いを持ってもらおういうことを望み、この戦争の負の遺産である陶器製手榴弾のレプリカを一輪挿しとして販売します。」(「近代産業遺産アート再生プロジェクト」のパンフレットより抜粋)



「登り窯もぜひご覧ください。」ということで、お店の方が登り窯の建物に電気をつけてくださいました。
登り窯へ向かいます。



上り窯の入り口。



登り窯がある建物に入って息を呑みました。
清水焼の登り窯を見たのはこれが初めてです。
規模の大きさに度肝を抜かれました。



「入場フリー」でとっても申し訳ないなと思いながらも、それでもしっかりと登り窯を見てきました。
以下はその登り窯の写真です。



解説しようにも何も分からない私。
以下、解説なしで写真だけで清水焼の登り窯の紹介をさせていただきます。













































見学終了。
オーナーの方に厚く礼を述べてから、藤平陶芸を後に。



日本では珍しいと言われる「縁切りの神様」である、安井金毘羅宮へ。



安井金毘羅宮の説明。


何ともミスマッチな風景。(>_<)



人工的に石が割られた感じ。
「縁切り」と何か関係があるのでしょうか。



「清明」と刻まれた手水鉢。



縁切り卑(えんきりいし)。



縁切り卑の説明板。



安井金毘羅宮の拝殿。



安井金毘羅宮を後に。
京都市街地は、路地へ一歩入ればまるでタイムトンネルをくぐったような場所がいっぱいあります。



ニ、ニャンだね!?君は。



見たこともないような花を見ながら路地裏散策。



「幽霊子育て飴」の取次店発見。
販売店が休みの時や営業時間が終わった場合でも、ここで幽霊子育て飴を買うことができます。



六道珍皇寺着。



境内へ。



お盆も終わり、人影まばらな境内。



小野篁(おのたかむら)像と閻魔大王座像は、もう見ることができなくなっていました。



「地獄へ続いている」などとも言われることもある鐘は、まだ突くことができました。



六道珍皇寺を後にして西福寺へ。



こんな絵が。



絵や、六道の辻などの説明。



「幽霊子育て飴」のお店。



店内へ。



「幽霊飴」のことはテレビ番組の「日本昔話」でも紹介されたようです。



「幽霊子育て飴」は麦芽が主成分のようです。



「幽霊子育て飴」の由来。



ズーム!



「幽霊子育て飴」を買った後、六波羅蜜寺へ。



六波羅蜜寺境内の大きな石地蔵様。



六波羅蜜寺を後に。
きれいな花!



六波羅蜜寺近くの中学校内には、「六波羅探題」があった場所を示す石碑があります。



五条通を西進し鴨川を渡ります。



とっても小さな公園が。



「鉄輪」(かなわ)の井戸がある「命婦(みょうぶ)稲荷」を目指します。
河原町五条より少し東側の五条通にあるこのお弁当屋さんのところで北側の道に入り北進すれば、命婦稲荷に行くことができるのです。
「幽霊子育て飴」を手に持ちながら、徒歩で鉄輪井を目指す・・・・・。
京都だからこそできる体験だなって思います。



「鉄輪跡」着。



戸は閉まっています。



この戸を開けるのは、ちと抵抗があります。
でも参拝するにはここを入っていくしかないのです。
もちろん立ち入り禁止などではなく、参拝者には開放された空間。
そっと戸を開けて中へ。



「鉄輪の井」着。
解説を読みます。



命婦(みょうぶ)稲荷社。



境内には、鉄輪(かなわ)関係の物が多くあります。



「鉄輪(かなわ)の女が身を投げたとも伝えられる井戸。
地下鉄の工事で水は残念ながら枯れてしまいました。
ここの井戸水は「縁切り水」として有名でした。



命婦稲荷境内の名水。
井戸の水ではありません。



「鉄輪」らしき絵が描かれています。



「命婦」の文字が見て取れます。



命婦稲荷社を後にして南進。
きれいな花を発見!



京都駅まで戻ってきました。
さて、帰路につこうっと!









1200年の歴史を誇る京都。
実に様々な場所があるということを目の当たりにし、今回のウオークでも感慨ひとしお。
京都って、本当に様々な顔がある街なんだなって改めて思いました。


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