今日は、午後から京都市内を目指そうとしました。
出発しようとしたら、モスラ号の前輪がパンクしているのを発見。
汗だくでパンクを修理してから出発しました。

本日の走行距離、33.84km。

2006年8月13日(日)



東山区の六道珍皇寺着。
小野篁(おのたかむら)像。
普段は公開されていない小野篁の像を、この時期には見ることができます。
小野篁は平安時代初期の学者・歌人で、小野小町の祖父にあたります。



小野篁像の左側にある閻魔大王座像。
こちらも普段は非公開で、お盆の時期限定で見ることができます。
小野篁は昼間は朝廷の官吏として働き、夜はこの寺の井戸から冥界に下り閻魔大王に仕えたという伝承があります。
ちなみに。
篁は朝になると、奥嵯峨の清涼寺・釈迦堂に昔あったという井戸からこの世に戻り、役所に出仕したそうですね。
その井戸が「生の六道」と言われ、今でも釈迦堂の境内に「生の六道」の石碑があります。



迎え鐘。
ここの梵鐘は一般的なものではなく、鐘は建物の中に完全に格納されていて鐘を見ることは不可能。



ここの鐘は、通常の梵鐘のように「押してつく」というのではなく この綱を引いて鐘を鳴らします。
梵鐘の下はまことに深く、「地獄まで続いているのだ」という話まであります。



篁(たかむら)が夜に冥界に下りたとされる井戸。
井戸は一般公開されていませんが、小さな穴からこうして その井戸の様子を今も見ることができます。



小野篁の名前が刻まれた石碑。



「六道の辻」と彫られていますが、実際にはここは六道の辻ではありません。
六道珍皇寺を後にします。



ここが実際の「六道の辻」。
六道とは、生前の善悪の行いによって導かれる冥界で、天上、人間、修羅、 鬼畜、餓鬼、地獄のことだそうです。
昔、この辺り一帯から東山山麓にかけて鳥辺(とりべ)言われ 葬送の地でした。
亡くなった人を送る地で、僧侶が亡者の霊魂に引導を渡すいわゆる「野辺送り」の場。
冥界への入り口にあたる辻が 六道の辻でした。



六道の辻には「幽霊子育て飴」を売る店があります。
昔のこと。
夜な夜な飴を買いに来る女性がありました。
ある夜、不信に思った飴屋の人が飴を買った女性のあとをつけて行くと、とある場所でふと女性の姿が見えなくなり、そしてどこからともなく子どもの泣き声が聞こえてきたそうです。
翌日、飴屋さんは他の人の助けも借りその泣き声がした辺りを掘り返してみると、やせ細った 子どもがお母さんの亡骸のそばで泣いていたそうです。
人々は、その子どもを連れて帰り世話をしました。
以後、女性は飴を買いに 来なくなったそうです。
その子どもは成人し、高僧になったと言われています。



西福寺(六道の辻地蔵尊)へお参りします。



「六道の辻」の石碑。
嵯峨野にある愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)も、元々はこの辺りにあったとか。



独特の雰囲気の地蔵尊境内。



お参りします。
子育地蔵尊と記された提灯が。
「幽霊子育て飴」と関係があるのかもしれません。
お地蔵様は子どもを守ってくださいます。
しっかりと手を合わせて、「どうぞ世の全ての子どもを守ってください。」と念じました。



幽霊子育て飴は今も生産されています。
この飴を造っておられる方は、当時土の中から子どもを助け出した飴屋さんとは無縁の方だそうです。



六道の辻から六波羅密寺へ。
都七福神の弁財天さん。
キンキラでキレイです。



境内の「平清盛公乃塚」。
この五輪塔は上から3段目の三角形になった笠の部分に焦げ跡があります。



「平清盛公乃塚」と並んで「阿古屋塚」があります。
説明板には、「阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。石造宝塔(鎌倉時代)で、その下の台は、古墳時代の石棺の石蓋を用いている。浄瑠璃、壇ノ浦兜軍記三段目「阿古屋の琴責め」平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子、阿古屋を捕らえ、代官 畠山重忠は、彼女が、景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴などの調べに一点の乱れのないことに感動し彼女を釈放する。」と書かれています。



説明板。



願い石。
心を込めて、とある願い事をしました。



六波羅密寺を後にして建仁寺へ。



心安らぐ建仁寺境内の雰囲気。



「酔芙蓉」のキレイな花。



酔芙蓉の花の鮮やかなピンク色に心が引きつけられます。



建仁寺を後にして南進。
「京都大仏」の石垣が見えてきました。



大仏殿跡緑地へ。



ここにかつて、奈良の大仏よりも大きな大仏がありました。
その名は「京都大仏」。
京都に大仏があったことは、私は自転車で本格的に走るまでは知りませんでした。
五条付近を自転車で走っていて「大仏」と刻んである石碑を見かけ、「京都に大仏なんかあったの?」との疑問を持ってから調べ、そして走ってみてその存在を知りました。



大仏殿があった方広寺境内から秀吉を祀る豊国神社へは、自転車ですんなりと行けます。
豊国神社通過。



秀吉の当時の行動の名残をとどめる公園名。
「耳塚」あるいは「鼻塚」とされているものが、この公園に隣接して存在しています。



お坊さんらしき人が集まっているようです。



耳塚前に多くの僧侶が来ていました。
これから、耳塚で慰霊の行事があるのかもしれません。



耳塚(鼻塚)。



耳塚を後にし南進。
京都駅近くで新幹線「のぞみ」を見かけました。



「古い歴史と、そして近代が混在する街」である京都。
そのことを存分に感じながら、わずかな距離でしたが今日の走りを終えました。
京都って、本当に不思議な街。
「観光ガイドブックに従って周る京都」では感じることができないミステリアスな不思議の街・京都を、今日は存分に味わいました。


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