今日は京都市内に勉強をしに行きました。
自宅を出ようとする時間帯で久々に雨ではなく、しかも天気予報では降水確率はかなり低め。
従って、迷うことなくモスラ号で出発。
夕刻に勉強が終わった後の帰路で清水寺に寄りました。
前から気になっていた「清水寺の七不思議」を探索したかったからです。

本日の走行距離、約60km。

2006年7月25日(火)




東本願寺の南側のお寺の境内。
聚楽第・飛雲閣がとってもよく見えています。



東本願寺前通過。



勉強会場に着きひたすら勉強。
あっと言う間に昼食時間。
昼食場所を探していたら、不思議な言い伝えがある「一条戻り橋」に着きました。



せっかくここまで来たのですから、晴明神社に参拝することに。



境内の晴明井。
水の流れる部分が可動式で注ぎ口がその年の恵方になっています。
ここは、茶道三千家の祖・千利休の終焉の地でもあり、太閤秀吉に振る舞ったり、最後に自服した茶も、この聖水で点てたものであろう。(境内の説明板より抜粋)



参拝。
提灯の赤い印は五芒星(ごぼうせい)と呼ばれ、それは桔梗の花の形だとも言われています。



厄除桃。
以前はなかったこれは参拝者の方が奉納された銅材で作られたもの。
古事記、日本書紀、桃太郎伝説にも出てくるように、、古来 陰陽道では桃は魔除厄除の果物とされていました。
厄除・開運を願うなら、この桃を撫でるとご利益が受けられるそうです。



結構前に来た際に「桔梗が開花しました。」と書いてありました。
その桔梗が今日もまだ咲いていました。
桔梗って咲いている時期がとっても長いんですね。



堀川。
真ん中の溝のような場所に水が流れているのみ。



晴明神社に参拝した後、ラーメン定食(ラーメン・ご飯・トンカツ・サラダ)をおいしくいただき、午後からもしっかりと勉強しました。
午後の勉強を終え、モスラ号で外に走り出ました。
高野悦子さんがよく寄っていた「アオキ書店」跡前通過。
胸がキュント切なくなりました。



不思議な言い伝えがある革道(こうどう)着。



ここには幽霊絵馬があります。
その幽霊絵馬に関しては悲しい話が伝わっています。
参拝を終えて帰ろうとしたら、中にいたお寺の人から「さようなら」と声をかけられて驚きました。
人がいるとは思っていなかったので。



高瀬川沿いを南進。



美しい水が流れる鴨川。



円山公園内のレトロチックな建物のレディスホテル前通過。



清水寺を目指します。



清水寺着。
水鳥がいました。
鴨川から飛んできたのでしょうか?!
清水寺境内で水鳥を見るのは初めてです。



葬送の地であるこの辺り。
捨てられていた石仏が多くあったのを、明治時代にここに集めたとされる石仏群。
こんな石仏群が清水寺にあることはほとんど知られていません。



「清水寺の七不思議」の探索開始。
まずは、地蔵院善光寺道へ。



「清水寺の七不思議」その一。
待人(まちびと)地蔵。
このお地蔵様は首が回るようになっていて、会いたい人のいる方角へ首を向けるとその人に会えると言われています。
あるいは、願い事がある方角に首を向けて願い事をするとよいとも。



地蔵院の説明板。



境内奥へ。



「清水寺の七不思議」その二。
タイガース仕様・・・・基!虎の石灯篭。



石灯篭に彫られたこの虎。
まるで生きているように生き生きと彫られています。
で・・・・・。
毎夜毎夜、虎の吼える声が聞こえるそうです。
時には、水を飲みに行くこともあるとか・・・・。



「清水寺の七不思議」その三。
平景清(たいらのかげきよ)爪彫観音像。



黒石ねぶたには「平景清牢を破る」てなものがあるそうです。
その平景清が、清水寺近くの川沿いの牢獄に入れられている時に爪で彫ったと言われる観音像がこの中にあります。
天気がいいと、一部が透けて見えるとか。



「清水寺の七不思議」その四。
ここ経堂天井には、「水飲みの龍」描かれています。
その龍は、夜になると水を飲みに外に出ると伝えられています。



「清水寺の七不思議」その五。
轟門。
八脚門とも言われるこの門は扉がありません。
この門は清水寺の口にあたり、門前の石橋の欄干が歯、橋の中央の板張りが舌を表すそうです。



「清水寺の七不思議」その六。
梟(ふくろう)の手水鉢。
台座には四方に仏と梟が彫ってあります。
人が多かったので、その写真は写せませんでした。
この手水鉢の水で口をすすぐと歯痛が治るとされています。
「清水寺の七不思議」その七は、音羽の滝。
音羽の滝にフリーで入るには、五条通をかなり東進して清水寺の裏口に行かなければなりません。
時間の関係で、音羽の滝は今回はパス。



胎内めぐりの説明。



胎内めぐりは既に受け付けが終わっていました。



清水寺を後にすることに。



同じ狛犬でも角度が違うとずいぶん印象が違います。



参道には外国語が飛び交っています。
観光客の3分の1くらいはあるいは外国からの観光客かも。



五条通着。
命婦(みょうぶ)稲荷に寄ることにします。



命婦(みょうぶ)稲荷社。



鉄輪の伝説。
昔、火鉢や囲炉裏(いろり)に置いて、鍋や「やかん」をかける3本足の五徳(ごとく)のことを鉄輪と呼んでいました。
能にも「鉄輪」(かなわ)伝・世阿弥作の謡曲があります。
下京に住む女が、自分を捨てて後妻を娶ったことを恨み、貴船神社に、丑刻詣(うしのこくまいり)をしていますと、鉄輪を頭にのせ、3本の足に火をともし、怒りの心をかきたてると鬼になれるとのお告げがありました。
夫は、それ以来、悪夢に苦しみ、安倍晴明に占って貰うと、今夜、命を失うとのことです。
それで調伏(ちょうぶく)の祈祷を受けていると、女の鬼が現れ、夫を連れて行こうとしますが、三十番神に追われ苦しみながら去っていきます。



「鉄輪社」の小祠。



命婦稲荷社を再建する工事の地ならしの時に、土の中から「鉄輪塚」の石碑(いしぶみ)やおびただしい数の鉄輪が発掘されました。
昔は、この鍛冶屋町は「鉄輪町(かなわちょう)」とも呼ばれ、世間によく知られていました。



鉄輪の井。
多くの文学や歌曲などに影響を与えてきたのが、この鍛冶屋町の鉄輪井。
この井戸は「鉄輪の女」が住んでいたところの井戸だと言われます。
この鉄輪の女が安倍晴明により力を奪われ、ついにこの鉄輪井のあたりで息が絶えてしまったとか。
一説には女が、この井戸に身投げをしたとも。
人々は鉄輪と共に霊をとむらい、「鉄輪塚」を築いたようです。
この井戸は京都市営地下鉄の工事が始まって水が枯れてしまい、今では水がない枯れ井戸になってしまいました。



命婦稲荷社を後に。



東福寺前通過。



ひた走り、伏見の長春寺前通過。
ここ長春寺は、伏見城の遺構が使われていると言われます。



京阪電車宇治線・観月橋駅付近から宇治川右岸に入ります。
「桃山温泉!」って一度入ってみたいです。



「月見館」に展示してある三十石舟。



三十石舟の舵部分。



船出所跡。



淀川三十石舟・舟歌が刻まれた石碑。



レトロチックな月見館。



増水した宇治川右岸を走ります。



宇治発・中書島行き電車通過。



日が傾いてきました。



新茶の摘みとりが終わった茶畑。



宇治川の川面に映える夕陽。
こんな日没風景を眺めるのは、本当に久しぶり。



宇治橋着。
JR奈良線の鉄橋の向こうに夕陽が傾きます。
さて帰ろうっと!





久しぶりに観た夕陽。
そろそろ梅雨明けなのかもしれません。


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