今日は雨の土曜日。
土曜日は愛妻のパート勤務が休みの日なので、土曜日は原則的に愛妻と共に行動します。
しかし今日は妻が歯医者さんに昼前に受診予約してあるので、共に行動できません。
そこで今日はウオーキングで浜大津を目指すことに。

歩き始めたら結構雨がきつくなってきました。
靴の中が濡れるのはかなわないので、宇治川周辺のウオーキングに予定変更。
しかし雨の降り方がかなり弱くなってきたので、やはり浜大津に行くことにしました。
宇治川周辺をかなり歩きまわったのと逢坂山で東海自然歩道に入ったことが原因で歩く距離が増加。
今日のウオーキング距離は、前回の浜大津までのウオーキングより10,000歩以上多くなりました、

本日のウオーキング歩数 44,337歩。

2006年4月15日(土)




歩き始めてすぐ、とっても綺麗な花を見つけました。



宇治川左岸着。
天ヶ瀬ダムの放流はもう止まっている様子。
北側・宇治橋方向を望む。



橘橋の上から見る宇治川上流。



塔の島。
サクラは散り急いでいるものの、まだ満開のものもあります。



船が下ってきました。
この船のことは、帰宅してからテレビのニュースで見ました。
船の乗船料は500円。



塔の島のサクラの花をズーム!



「宇治川先陣あらそいの碑」前通過。



朝霧橋。



素晴らしい宇治公園のサクラ。



塔の島・最南端。
先日の天ヶ瀬ダムの放流でこの場所は、激しい流れに洗われていました。



激しい流れの向こう側(右岸)に観流橋が見えています。



朝霧橋を渡り宇治川右岸に。
朝霧橋の真下から見る塔の島。



源氏物語の像にも、散ったサクラの花が。



民宿「亀石」前着。
ゴジラ組正規軍・サブマリン隊員?の亀石君は、宇治川の増水のため潜水訓練に励んでいました。



雨が結構降っていたので宇治川周辺の散策だけにしようと思っていたのですが、雨足が弱まりました。
当初の予定通り、浜大津を目指すことにします。
京阪三室戸駅を越えた場所で再び宇治川右岸へ。



セイヨウカラシナの花が盛りを迎えていました。
花の香りが鼻腔をくすぐります。



茶畑にそろそろ覆いがかけられるようです。
宇治茶はこうして丁寧に栽培され、収穫期には手で摘まれます。



宇治川の清流を眺めながら北進。



木幡池通過。



ひた歩いて醍醐寺着。



醍醐寺門前の美しいシダレザクラ。



醍醐寺を後にして更に歩き続けます。
橘女子大学付近で、名神高速沿いの道へ。



木苺の白い花が咲いていました。



サクラの絨毯を踏みながら歩きます。



チューリップの花も雨に濡れていました。
このチューリップの花は、雨・曇り、それに雨の日には花を閉じたままなんですよ。
そうそう。
チューリップに種があるということをご存知ですか?
時間はかかりますがチューリップは種から育てて花を咲かすことができます。
花が咲く=種ができるってことです。
自然界で球根の分球で増えるという悠長なことをしていたら、球根種は絶滅してしまいます。



名前は知りませんが、こんな綺麗な花が咲いていました。



逢坂山の坂道を進みます。



逢坂山の坂を上がりきったところで、東海自然歩道に入ります。



汗をかきながら山道を進撃。



琵琶湖が展望できる場所に出ました。
天気がよかったら最高の展望だと思いますがあいにくの天気。
残念ながら眺望があまりよくありません。



下山途中に長安寺に寄りました。
長安寺の昔の名前は「関寺」で、かつて関寺は大寺院でした。
平安時代には、日本3大仏のひとつであった「関寺大仏」がありました。
でも今ではこの小堂を残すのみです。



お堂の前には、うしさんが。
お賽銭を供えて手を合わせていると、お堂の中から読経の声が聞こえてきました。



埋もれ百体地蔵。
元亀二年の比叡山焼き討ちなど相次ぐいくさで、比叡山山麓(大津市坂本)に埋もれていたこれらの地蔵。
そのうちの百体が、1960年にここ長安寺に移されたのです。



遠目に「となりのトトロ」のように見えたこれ。
重要文化財である長安寺宝塔です。
高さ3.3mのこの宝塔は鎌倉時代初期の築造で、日本を代表する石造宝塔。
一般には「関寺の宝塔」と呼ばれます。
1025年の「関寺縁起」によると、976年の大地震で破損した関寺復興の際に、資材を運搬した一頭の牛が仏の化身であるとのうわさが立ち、多くの人がここ関寺に参拝したということです。
1025年に関寺の工事が終わると共に、霊牛は死にました。
その霊牛を供養し祀ったのがこの牛塔だと言われています。
1960年に、国の指定文化財になりました。



長安寺を後にして浜大津方面に進撃。
「犬塚の欅(けやき)」前通過。
この犬塚の欅は、老大樹としてだけでなく樹にまつわる伝説ででも有名です。
京都から大津へ難を逃れてやって来た蓮如上人が、上人の人気を心よく思わない他宗の門徒によって毒殺されようとしました。
その時、忠犬が身代わりになって上人に盛られた毒で死んだので、それを弔うため死んだ忠犬を埋めた場所にこの欅の樹を植えたそうです。
その木が、今ではこんな大木になったのです。



最終目的地である浜大津港着。
外輪船ミシガンが、航海を終えて港に帰ってきました。



ミシガンからお客さんが下りてきました。
あいにくの雨。
乗船した人の人数は少な目。



ビアンカは出航中。
「うみのこ」は停泊中。



近くに海がない我々にとって、この琵琶湖こそが「私達の湖(うみ)」なのです。



砲艦サンパウロ・・・・、基!消防艇にご挨拶。



JR大津駅着。
駅前には「山吹地蔵」があります。
大津駅がこの地に建設されるまで、この地は秋岸寺というお寺でした。
木曽義仲が「粟津が原」で鎌倉軍勢と戦って敗れ戦死した際、異変を知った義仲の愛妾の山吹御前が京の都から義仲の元に逢坂山を越えてここに駆けつけます。
しかし結局、山吹御前は義仲に逢うことなく秋岸寺境内の竹やぶで敵の刃に倒れます。
そのことを哀れに思った人々は、ここ秋岸寺境内に地蔵を彫って祀りました。
大津駅の建設に伴い秋岸寺は移転しましたが、地蔵様は取り残されたままになりました。
取り残されたお地蔵様は、ここにできた鉄道マンの宿舎の妻達の手によっ引き続きて守られ祀られてきました。
1975年の大津駅舎改築に伴い、お地蔵様は立派な祠を建てた中に祀られ、やがて誰言うとなくこのお地蔵様は「山吹地蔵」と呼ばれるようになったんだそうです。



JR大津駅からは電車に乗ります。



京都駅で下りて、奈良線の快速に乗車。
大津駅から乗った電車と同じ種類の電車ですがな。(^_^;)






逢坂山の上りをあがりきって東海自然歩道に入りました。
それは別になんてことなかったんですが、下山途中で大津市内に下るのに道を間違い人家の間の狭い狭い道を歩いていて、散々犬に吼えられました。(>_<)
別に怪しくもないのに・・・・。
って、ちょっと怪しいか。
ドモドモ。(^_^;)

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