今日は神戸を目指しましたが、強風のため断念。
目的地を海遊館に変更しましたが、途中で寄った「道頓堀極楽商店街」で昼食&休憩をして外に出ると雪交じりの強風。
海遊館行きも取りやめ、道頓堀極楽商店街でUターン。
それでも久々に見る淀川、そして大阪の街。
とってもよかったです。(#^.^#)。

本日の走行距離=不明。(サイクルコンピュータが盗まれました(>_<)が未購入のため)

2006年3月19日(日)




強烈な北風にふらつきながら橋本へ。
旧遊郭の建物を見ながら橋本通過。



楠葉砲台跡着。



楠葉砲台は、徳川幕府が大阪湾から京都に侵入する外国船に備えて築かれました。
1868年の鳥羽・伏見の戦いでは、ここが鳥羽・淀から敗走した幕府軍で混乱を極めたそうです。



京阪電車牧野駅近くに、早咲きの美しい桜の花が咲いていました。



枚方通過。



鳥飼仁和寺大橋通過。
強烈な北風です。



大阪モノレール淀川鉄橋通過。



菅原城北大橋。
ずっとぱらついていた雨がきつくなってきましたので、しばし雨宿りしました。
サングラスを外してモスラ号の上に一瞬置いただけなのに、サングラスは堤防の下まで吹き飛ばされてしまいました。(@_@;)
サングラスを拾いに行っている間に、強風でモスラ号が思い切り転倒。
モスラ号が堤防下まで転がりそうだったので焦りました。



城北大橋南詰近くにある「千人つか」にお参りします。



日本未曽有の大敗戦の昭和20年6月7日残存せる大阪を壊滅せる大空襲により戦災死者数万人中身元不詳の千数百の遺体を此処に集め疎開家屋の廃材を以って茶毘に付す
鬼哭啾々たる黒煙天に柱し、3日3晩に及ぶ 悉く市民の奉仕協力による 遺骨はその侭土中にして此処に葬る 訴うるに声無き無辜の国民の痛恨の空しく土に埋れ草に掩われて世に忘れ去られんを憂いて巷間の義人東浦栄二郎氏庭石に唯千人つかと刻して此処に置く
進駐軍治下と近畿地建の管理地なるを以てなり
爾来30有星霜香華絶ゆる事なきも世人この塚の謂われを知らず 茲に其の由来を刻しこの地下に眠る無事無縁の霊位の冥福を祈り国家安泰と軍官専横苛政による国民塗炭の痛恨と犠牲の再現を永く阻止し世界人類の和平を祈願する日本国民の総意を世に問うものなり

千人塚由来記」より。
1945年6月7日の11時9分〜12時28分の約1時間半に409機ものB29が大阪を空襲し、大阪の街は想像を絶する大被害を受けました。
爆撃による都心の火災から逃れて城北公園や長柄橋の淀川岸に避難した老人や幼子を含めた多数の人々に対して、アメリカのP21戦闘機が執拗な機銃掃射を行い多数の人命が失なわれました。
日本本土奥深いこの城北公園の上空を、アメリカの空母から離陸したP21戦闘機が我が物顔で飛びまわっていたというのが、あの戦争末期の実態。
戦争を起こした政治の醜悪さと「大本営発表」の無責任さを、今更ながら痛感します。
負の歴史は決して繰り返してはなりません。



赤川鉄橋に少しだけ寄ってみることにします。



城東貨物線が廃止され、ここ赤川鉄橋が複線の旅客路線になる計画が決まっているようです。
そうなると、この鉄道と人道が併設されている素晴らしい橋の歩道部分が姿を消してしまいます。



赤川鉄橋下通過。



毛馬閘門通過。



伊丹空港が近いので、結構頻繁に低空を飛行機が通過します。



大川沿いを南進。
外輪船発見!



平べったい船ですが、かなりの大型。



ばいば〜い。(^^)/~~~



砂利運搬船の雄姿。
優雅な外輪船もいいですが、実用本位のこんな船も私は大好きです。



こんなものがありました。
知らない間に、こんなものが整備され入場できるようになっていました。
ここは一体なんだろう・・・・・・。



藤田邸跡だそうです。
藤田さんって、一体誰だろう・・・・・?



藤田邸跡内部には、キレイな梅がたくさん咲いていました。



ピンクの梅もとってもキレイ!



大坂橋を渡ります。
寝屋川の向こうにクリスタルビルの姿が。



こんなものがありました。
大阪城の石垣の残石なのでしょうか。



大坂城内の桃園着。
花の季節に来るのは初めて!



ちょうど、桃の花が盛りを迎えつつありました。(^_^)v



きれいな桃の花がいっぱい。



桃の花を楽しんだ後、次は梅林へ。



天気がよければ最高なのでしょうが、生憎の雨交じりの強風。



梅の花は、ちょうど盛りを迎えていました。



とっても可憐なピンクの梅花。



大阪城の広い梅林は入場フリーです。



梅林を後にして、大阪城天守閣下へ。
どっしりとしてすごい迫力!



70年の大坂万博の際に埋められたタイムカプセル。



大阪城を後に。



この門の右側には銃眼があります。
人間って本当に進歩していないんだなあってつくづく思います。



道頓堀極楽商店街着!



結構人が多く、順番待ち。



エレベーター前へ。
「こてこて」のエレベーターですがな。(^_^;)



入場!



「憧れのハワイ航路」の歌を聴きながら歩いていると、流れている歌に合わせて「憧れのハワイ航路」を歌っている人がいました。
思わず私も歌いそうになりましたがな。(^_^.)



こんな高級な風景は私は子どもの頃に直接体感したことなどありませんが、それでも何だかとっても「懐かしい」って気がしてくるのが不思議。



「憧れのハワイ航路」の次には「お富さん」の歌が流れてきました。
♪死んだはずだよ お富さん 
 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏の お富さん〜♪
私が幼児期の頃に流行った歌。
でもなぜか、今でも歌詞を鮮明に覚えています。(^_^;)



最上階ではショーをしていました。
以前わが愛妻と共にここに来た時に見たものと同じものでした。



宇治から持参のお茶以外は一切口にせずここまで走ってきたので、とっても空腹。
そのわけは、「井出商店」の和歌山ラーメンを空腹で食べたかったため!
でも・・・・。
和歌山ラーメンの老舗「井出商店」を探すのですが、なぜかどこにも見当たりません・・・・・。



「紙芝居仕様」のタコせんべい売り。
紙芝居って懐かしいです。
私はいつもタダ見していたので、紙芝居のおじさんから「こら!買わんやつは見るな」って怒鳴られていたのを覚えています。
「赤銅鈴の助」や「黄金バット」など、紙芝居のおじさんの巧みな話し方に「血沸き肉踊る」って感じでした。
「怒鳴られたら即逃げ」の態勢で、体半分後ろに向けながら見ていました。



行ったり来たりしましたが、結局和歌山ラーメンの店はありませんでした。
あった場所にほかの店ができていました。
井出商店は、どうやら極楽商店街から撤退したようです。



たこ焼き、ミンチカツ、コロッケなどを飲み物と共においしく食べます。
それにしてもこの雰囲気。
最高です!



大坂名物と言えば、まずこれ!



実際にはこんなにゴテゴテした場所はなかったはずですが、それでもレトロが凝縮されているこんな雰囲気は最高!



本当にうまく再現してあります。



明石焼きをいただくことに。
明石焼きは「玉子焼き」とも言うようです。
だしがおいしかったです。(#^.^#)



ゆっくりと場内を歩きながら、そろそろ退場モードに。



交番までありました。
もちろん中に警官はいませんが・・・・。



入場料(315円)を含め、全ても飲食はカードに記録されます。
カードの精算を済ませても、こんなお土産屋さんの中を通らなければ外に出ることはできません。(^_^;)



エレベーター内部。



道頓堀川。



「飛び込み防止用」設備の向こうにしか、グリコの看板を見ることはできなくなっていました。



強風を避けて、帰路では淀川堤防は通らないことにしました。
初めて通る道で、こんなものを見つけました。
「銅吹所」と記してあります。



江戸時代、日本は世界有数の銅産国で、しかも大阪は当時「銅精錬業」の中心地だったようです。



松屋街(まっちゃまち)通過。



再び大阪城近くを通過。



空腹になったので、帰路で「亀OH」のラーメンを食べることに。
このチャーシューは絶品でした。
ただ〜し!
チャーシューのトッピングは400円ほどで、かなり高めです。



相変わらずの強風を避けて、淀川堤防よりひとつ南の道路を走ります。
豊里大橋南詰め通過。



枚方近くになってきました。



「天の川」を渡ります。



八幡まで戻ってきました。
夕陽に照らされる京阪電車の木津川鉄橋。



ふと気がつくと、夕陽は既に男山の向こうに沈んだ後。



男山をズーム!



少し走ると、また夕陽に照らされた自転車道が。



国道1号線木津川大橋上から、日没を眺めます。
男山の向こうに夕陽が沈むので、場所を移動すると既に沈んだ夕陽を見ることができます。



夕陽をズーム。
さて、家路を急ぐことにしますか。




すごい強風が吹く一日でした。
そして帰路で、ずっと雪が降っていました。
今はまさに、冬と春が混在する季節なんでしょうね。
淀川沿いでは、堤防でつくしか何かを摘んでいる人がyたくさんいました。
もうすぐ暖かい いい季節になりますね!




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