今日は、京都盆地の北東部に位置する深泥池(みぞろがいけ)へのロングウオークを行いました。
深泥池は周囲2kmにも満たない小さな池なのに、素晴らしくミステリアスで、そして価値ある池なのです。
詳しくはこのレポートの最後に書いてありますので ぜひともお読み下さい。
本日のウオーキング歩数、53,148歩。
2006年2月19日(日)
自宅を出発。
きれいな椿の花が咲いているのを見かけました。
きれい!
小倉町を通過。
水位によって流路が変わる水路を見ます。
これって本当に素晴らしい工夫です。
水が少ない時には常に左の水路に、そして増水時だけ右の水路にも水が流れます。
消費エネルギーがゼロのエコ分流路です。(*^_^*)
ドンドン北上。
月見館を見ながら観月橋通過。
石碑発見。
何て書いてあるのは分かりません。(>_<)
京阪電車宇治線・観月橋駅前通過。
御香宮へ寄ってみます。
伏見城築城の際の残石が。
これは伏見城の遺構。
参拝します。
御香宮を後にして北進。
北進途中で疎水沿いの道に入るため、少しだけ西進し人と自転車しか通れない小さな踏切を渡ります。
京阪電車本線・藤森(ふじのもり)駅通過。
伏見稲荷大社付近通過。
先を急ぐので、このまま疎水沿いに北上することにします。
間もなく、疎水沿いの歩行者専用道の終点。
疎水沿い歩行者専用道から一般道に出て京都駅着。
渉成園(枳殻邸=きこくてい)前通過。
文子天満宮着。
ここには先週もウオーキングで来ました!
文子像。
菅原道真公が腰掛けた石があるようです。
先週来た時には気付きませんでした。
その石がこれ!
文子天満宮を後にして更に北上。
お寺のこんなことばが目に付きました。
本当にその通りだと思います。
五条通に出ました。
鉄輪(かなわ)の掛石にゆかりの場所に近いので、命婦稲荷社に寄ることにします。
今日の最終目的地に深泥池貴舩神社(みぞろがいけきぶねじんじゃ)がありますもの。
昔、このあたりは「鉄輪町」と呼ばれていました。
貴船とこの鍛冶屋町(鉄輪町)、そして橋姫の祠があった宇治橋「三の間」。
貴船-鍛冶屋町-宇治は、とっても不思議な縁でつながっているのです。
工事の時に「鉄輪塚」の石碑が発掘されたそうですが、それがこうして小さな祠となって祀られています。
命婦稲荷社。
ここにまつられているのは町内の氏神の「命婦(みょうぶ)稲荷」は1935年に再建されました。
その工事の時に、土中からおびただしい数の鉄輪(かなわ)が発掘されたとか。
とっても怖そうなキツネさんですが、でもこのキツネさんは町内の氏神である「命婦(みょうぶ)稲荷」の狛キツネさんです。
鉄輪の井戸とは無関係なのです。
鉄輪の井戸。
「鉄輪の井」由来。
鉄輪の井戸を後にして北上。
仏光寺へ寄ってみました。
ドンドン北上。
京都一の繁華街である四条通着。
錦通りに入り、錦通りを東進。
錦天満宮の鳥居。
両端とも建物に食い込んでいます。
錦天満宮着。
境内には金属製の牛が。
なでるといいそうです。
繁華街のど真ん中なのに、境内では飲用可能な名水が湧き出しています。
名水「錦の社の御神水」。
境内のおみくじ自動販売機。
普段は動いていませんが、人がこの前に来るとセンサーが働いて獅子舞が踊りだします。
薄暗くなって人の少ない時にこの獅子舞が急に動き出すとドキッとすることがあります。
光溢れる境内。
静かな境内の向こうには、新京極通りの喧騒が。
錦天満宮を後にして新京極通りを北上。
立江地蔵尊に寄ってみます。
誰一人いない境内から見る新京極通り。
蛸薬師着。
さっそく、なで薬師をなでます。
蛸薬師境内から新京極通りを眺めます。
蛸薬師を後に。
三条通りを西進して「弁慶石」にご挨拶。
幼少の頃、三条京極(弁慶石のある付近)に住んでいた弁慶はこの石を好んでいたとか。
弁慶の死後、彼が義経をかばって最期をとげた奥州高館(今の岩手県平泉町)にこの石は移されるものの、ある時石が動き声をだし「三条京極に往かむ」と言います。
そして高館の地に熱病が蔓延したため、弁慶の祟りと恐れた土地の人により再度弁慶の生まれ故郷である三条京極に移されたという伝承があるのです。
別の説によると、この石は元々鞍馬口にあり弁慶が腰掛けに使っていたが、洪水によってここまで流されてきたともいわれています。
現在の場所には、昭和に入ってから移されました。
弁慶石の説明。
革堂(こうどう)へ。
ここ革堂には「幽霊絵馬」があります。
お参りします。
ここの境内は、とってもほっとする雰囲気があります。
境内の七福神。
革堂を後にして、下御霊神社へ。
境内には犬の巨大絵馬が。
更に北上。
新島襄の邸宅跡通過。
住居跡を示す石碑。
府立鴨沂高校前通過。
鴨沂高校の読み方が分かりますか?
「おおきこうこう」と読みます。
先週の日曜日に続いて、今日も立命館大学広小路キャンパス跡通過。
私が講義を受けていた建物跡は、こんなものになっていたんですね。
1週間前に来た時には、このことに気がつきませんでした。
御土居の東側の部分が残っている「ろ山寺」着。
でも御土居がある部分には午後4時までしか入ることが出来ないようです。
既に時刻は午後4時を過ぎていたので、結局御土跡を目にすることは出来ませんでした。(>_<)
こんな石碑がありました。
加茂川右岸の歩道へ入ります。
「鯖街道口」の石碑が。
加茂川の流れを見ながら速歩で北進。
おいしそうな(オイオイ)鴨の群れが。
御園橋着。
この橋を渡って東進します。
せせらぎの音を聞きながら古い建物を眺めて速歩。
暗くなるまでに深泥池に着けるかなあ・・・。
「春間近」の雰囲気を感じる木の芽のふくらみ。
えらく大きい建物に「天下一品」って文字が書いてあります。
天下一品って、ひよっとしてラーメンの?
こんな説明板にも「天下一品」の文字が。
こ、こんな表札が。
やはり、あの天下一品でした。
「ラーメン御殿」って感じです。
藤木社の横通過。
大田神社前通過。
雲っていて太陽は見えませんが、もう日没は終わっているはず。
急がなくては!
深泥池貴舩神社着!
神社の説明。
このあたりはちょうど洛中から鞍馬街道へ向かう分岐点。
「鬼が出てくる地下通路」があり、貴船川上流の貴船からその地下通路を通って毎夜鬼が出現して都を荒らしていたとか。
貴舩神社の鳥居。
地下道から出現してくる鬼を退治するため、鬼の嫌いな炒り豆をその穴に投げ込んだことが今日の「豆まき」となったという説があります。
深泥池貴舩神社本殿。
「すぐき」の神様である秋葉神社の説明板。
貴舩神社境内には秋葉神社もあるのです。
平安時代頃からここにあった秋葉神社は、 神仏混交ゆえ明治の廃仏毀釈で賀茂社の社家によって打ち壊されます。
その翌年の大火によって、ここの村は焼失してしますが、焼け跡の家々には漬物樽は焼けてはいたけれど中身は焼け残っていたそうです。
その焼け残りの漬物の茎を食べたところ「酸い茎」やとの声が上がり、それが現在の漬物「すぐき」へと 受け継がれてきたのです。
秋葉神社。
秋葉神社本殿。
境内を周ります。
昭和初年頃には「豆塚」がこの辺りにあったと言われていますが、現在はその所在場所は不明。
小さな祠がいくつかありました。
ここ深泥池貴舩神社の境内に、その豆塚があったと言われています。
しかし今はそれを確かめるすべはありません・・・・。
深泥池貴舩神社を後にします。
深泥池着。
太古のミステリーを秘めた場所です。
池の説明。
説明板には航空写真が。
この池は深泥池と書いて「みどろがいけ」と呼ばずに「みぞろがいけ」と呼びます。
その名前は、行基がこの深泥池から「弥勒菩薩像」を見つけたことに由来するそうです。
薄暗くなりかけてきましたが、池を一周することにします。
この平凡に見える池に太古の生物群が生息していることが、とっても不思議に思えます。
浮島が間近に見えてきました。
水深はおよそ2m。
その下には20mもの泥炭層がります。
水際はかなり足場が悪い場所があり、足を滑らしたら池にはまってしまいます。
慎重に歩きます。
足場のいい道になりました。
沢を渡ります。
人の顔にも見える木が。
人面木?
浮島に人が入れないよう、網が設置してありました。
こんな警告板が。
博愛会病院。
ここで道が行き止まりになっていました。(@_@;)
博愛会病院の中に入るわけにはいかないので、山を上がり道路に出ようとしました。
しかし上り始めたら急に闇が濃くなってきました。
もしも戻るなら薄明かりのある今しかチャンスはありません。
ライトは持参していないし、池沿いの道は暗くなったら転落の危険性が極めて大きくなります。
この大ピンチに、「もと来た道を戻る」と決めて山を下り大急ぎで戻ります。
池沿いを外れて山道に来ました。
ひと安心です。
調査用らしき何かの装置がありました。
暗闇に包まれる直前の深泥池。
無事に道路まで戻ってきました!
フ〜ッ。
きれいな早咲きの桜が咲いているのが目に飛び込んできました。
加茂川沿いまで戻ってきました。
美しい光が溢れる建物を楽しみながら南進。
テクテク。
出町柳着!
出町柳駅へ。
帰路は「おけいはん」です。(^^♪
出町柳駅構内のモニュメント。
急行に乗ります。
グッスリと寝込んでしまい、目が覚めたら八幡市駅でした。(>_<)
宇治駅着。
さてと。
ここからまた自宅まで速歩!
1927年に「深泥池水生植物群落」として国の天然記念物に指定され、その後の調査で植物だけではなく動物にも新しい発見が相次ぎ、1977年には「深泥池生物群集」として拡大指定され今日に至っています。
池は、北側をケシ山に、東側を高山とチンコ山に、そして南側を西山にそれぞれ囲まれ、南西部のみが市街地に開けています。
池の標高は75mと琵琶湖より低いにもかかわらず、高層湿原にあるミズゴケの浮島があったり、亜寒帯植物で世界最南端に生息するホロムイソウが自生していたりします。また、緯度が高い場所や高山の池でないと生息していない植物が多く野生しているのです。こうした北方にある植物が生息しているのは、今からおよそ2万年前の最終氷河期の植生が今でも残っているためだと考えられています。
池には流入する川も、そして流出する川もありません。
大雨の時にはオーバーフローして水が溝に流れ出ますが、どんなに日照りが続いても水がなくなることはありません。
酸性で冷たい水は栄養分が少なくバクテリアが繁殖できないため、植物の枯れたものは分解せず池の底に堆積し泥炭化する過程で蓚酸を出します。
そしてそのことが更に分解の速度を落とすことにつながります。水生植物にタヌキモの種類が多いのは、土中の窒素分が少なく植物の根からの吸収だけでは不足するので、葉に仕掛けた捕虫網でミジンコを消化する機能があるからなのです。
そしてそうした植物にとっては厳しい環境が、逆に今日まで古生物の生息を可能にしてきたのです。
念願の深泥池探索を、ウオーキングで実現できました。
深泥池って、本当にミステリアスだって実感しました。
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