今日は TOM&BINさん企画の、開運「都七福神」めぐりに参加しました。
風邪で調子が悪いままパート勤務に出かけた妻を午後4時半に駅まで迎えに行くので、途中までの参加となりました。

本日の走行距離=約60km。(正確には不明。帰路でスピードを上げて走ったので高野川沿いのでこぼこ道でサイクルコンピュータの接点がずれてしまい、途中からメーターが動いていませんでした。(T_T) )

2006年1月29日(日)




宇治橋西詰めの夢浮橋公園着。
美しい宇治橋を眺めている皆さんと合流。



喜撰橋を渡って塔の島へ。



喜撰橋上から見る宇治川下流。
とってもいい天気。(^^♪



塔の島の十三重の塔。
この塔の上から5番目の石が石川五右衛門に盗まれ、現在はなぜか藤森神社の手水舎水鉢の台石になっているとか。
そのことは藤森神社境内の説明板に詳しく書かれています。
上から1、2、3、4、5・・・番目っと。
なるほどそう言えば、上から5番目と言うより上からの5つの石は、その下の石と比べると角の位置が違うようにも見えますが・・・・。



塔の島から右岸へ渡るために朝霧橋へ。
朝霧橋から見る宇治川下流。



朝霧橋を進撃。



橋の上から見る宇治川上流。



右岸の宇治神社入り口近くにある、宇治の名水「桐原水」の説明。



宇治神社経由で、世界文化遺産である宇治上神社へ。
宇治上神社の狛犬。



宇治上神社拝殿。



線刻阿弥陀三尊仏。(蜻蛉石)
光線がきつくて分かりにくいのですが、この石の表面には三尊仏が線彫りしてあります。



線刻阿弥陀三尊仏の説明。



「蜻蛉」の説明。



黄檗山万福寺着。



万福寺の布袋尊。
都七福神の一番目です。



万福寺境内の敷石。
境内は龍に模してあって、この敷石は龍の背骨にあたるそうです。



中国風の境内。



少しだけ境内を周ることにします。



有名な魚板(かいぱん)。
木魚の原型で、時を報ずるものとして今でも使われています。



魚板の説明。



巡照板。
長年打たれて中央が凹んでしまっています。



広大な境内には重厚な建物が。



素晴らしい境内。



万福寺を後にして、間もなく長建寺。
京阪電車本線の踏み切りで電車が通過するのを待ちます。



もっとも伏見らしいとも言える酒蔵風景。



伏見は天気がいい日はその素晴らしさが一段と映えます。



最高!



長建寺。



黄桜カッパカントリー着。
かわいいカッパのモニュメント。(*^_^*)



こっちもかわいい!
建物の中では、年代別のCMを楽しむこともできます。
それにしても、なかなか挑発的な視線ですな。(^_^;)



伏見を後にして明養軒で昼食。
昼食後東寺へ。
東寺の毘沙門天。
本日二番目の都七福神です。



東寺境内にはカメの石像が。



建物も、とっても歴史が古そう。



境内を周ります。



三面大黒天。



東寺を後にして北進。
松原橋で鴨川を渡ります。
この松原橋こそが、牛若丸と弁慶とが出会った「五条の橋」なのです。



六波羅蜜寺着。
境内の、本日3番目の都七福神である弁財天。
金色でとってもきれいでした。



境内の阿古屋塚。
この塚は、実は鎌倉時代に造られた花崗岩の石造宝塔です。
台座は、何と古墳の家型石棺の蓋が代用されています。
昔この辺り一帯が鳥辺野葬場の入口にあたっていたので、遺骸を荼毘に付す下火(あこー下炬)という点火作法がこのあたりで行われていたため、このような名前の塚になったと言われています。



塚の説明板。
清水寺境内にある石燈龍の火袋内側には、悪七兵衛平景清が爪で刻んだといわれる「景清爪形観音」があります。
清水寺本堂西側には景清の足形石まであります。
東大路五条には「牢ノ谷」と呼ばれる音羽川の渓谷がありました。
ここには景清が投獄されていた牢屋があったと伝えられています。
牢ノ谷の牢屋の石柵であったという石が、京都市東山区東大路三条西入るの要法寺の庭にあるそうです。



一願石。
もちろん願い事をしました。



境内の額。
大鏡の「能書のほまれ」にはこの額に関して次のような記述があります。
「わがすることを人間のほめあがむるだに興あることにてこそあれ まして神の御心に さまでほしく思しけんこそ いかに御心おごりし給ひけん また おほかたこれにぞ いとど日本第一の御手のおぼえは この後にとり給へりし 六波羅蜜寺の額も この大弐の書き給へるなり されば、この三島の社の額と この寺のとは同じ御手に侍り」。



六波羅蜜寺を後にして楽しいお買い物〜。
買う物は、京都名物である「幽霊子育て飴」です。



西轆轤町。
轆轤町には二つのお寺があります。
先程訪れた六波羅密寺と、そして西福寺。
その西福寺の角が六道の辻で、この世とあの世の分かれ目とされていました。
ここから東はかつては鳥辺野と呼ばれたる葬送の地でしたが、当時は葬送と言っても遺体を野に投げるだけで土葬でさえもほとんどされませんでした。
鳥辺野まで遺体を運ばず鴨川に投げ込む人も多く、洪水がないと鴨川河原は遺体だらけだったという時代。
その鴨川と鳥辺野の間にある六道の辻にも そうして遺体を投げ捨てて行く平安人が絶えなかったそうです。
それゆえ、この辺りは轆轤町(=髑髏町)と呼ばれそれが地名になったとする説が有力です。
でも今は、そんな雰囲気は微塵も感じられません。



幽霊子育て飴を買おうっと!
今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬れし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人のありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児8才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。
寛文6年3月15日68才にて遷化し給う。
されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とかでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。

みなとや幽霊子育飴本




埋葬時に六文の銭を棺に入れるのは、六道銭といって三途の川の渡り賃なのだそうです。
その銭を使って幽霊は、自らが三途の川を渡れなくなるにもかかわらず愛しい子のために夜毎飴を買っていたのです。
いわばこの飴は、子を思う暖かくて強い母親の愛情の結晶と言えます。
そんな素晴らしい京都名物の飴は、とっても素朴でおいしいです。(*^_^*)



幽霊飴の話は各地にいくつかあるようですが、実際に飴が今でも売られていて手に入るのは京都のみ。
そういう意味でこれは極めて貴重な飴。
こちらは300円です。



そしてこれが500円。
ちなみに私は300円のものを買いました。
予算が厳しくて500円のものは買えませぬ。(T_T)



えびす神社へ向かう途中で見かけた「体験舞妓さん」達。
そして写っているタクシーの中にはかなり美形の舞妓さんが乗っていました。
最後尾を走っていた私は前を走るBINさんに声をかけたのですが、BINさんはそのまま前進。
結局この体験舞妓さん達を見たのは私一人。
それとは別に左側のタクシーには2人の舞妓さんが乗っていて、そのうちの一人はカッパカントリーの古いCMで見たカッパのようなどきりとする視線を私に送ってきました。
って言っても偶然に目が会っただけですがね。



えびす神社着。
本日4番目の都七福神である弁財天の恵比寿神。
恵比寿神は、戸が閉まっていて見ることができませんでした。(>_<)



境内の鳥居には恵比寿神らしき顔が。



恵比寿神石像。



恵比寿神石像。
こちらの石像の方が古そうです。



石と木の両方でできている鳥居。



格子の隙間からわずかに内部が見えます。
恵比寿神の瓦のようです。



これは・・・・・?



恵比寿神社を後にして北進!



松ヶ崎大黒天着。
本日5番目の都七福神です。



なで大黒。



開運大黒天!



あの中に大黒天がおられるのでしょうか。
戸が閉まっているので中が見えませんがな。(T_T)



松ヶ崎大黒天の説明。



時間がないので、松ヶ崎大黒天境内で皆さんとお別れ。
高野川〜加茂川・鴨川沿いを南下します。
急ごうっと!





帰路で、高瀬川沿いの凸凹道を少しだけぶっ飛ばしました。
そのため、結構きつくネジを締めていたテールランプが下を向き、そしてサイクルコンピュータの接点がずれてしまいました。
恐るべし!ガタガタ道。(>_<)

松ヶ崎大黒天を午後3時15分に出て、宇治市の自宅には午後4時20分に着きました。
ただし、汗だくでですがね。
自転車の素晴らしさを今日も実感することができました。

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