今日は休日出勤の代休日。
そこで、作戦名「伏見城の遺構を追え!」(第1次探索活動)を展開しました。
昼前に自宅を出発し、家には午後4時に帰着。
短い時間でしたが中身の濃いひとときを過ごすことができました。

本日の走行距離=約40km。(正確には40.95km)

2006年1月16日(月)




最初の探索地は平等院宝物殿。(これが確か宝物殿だった思うのですが・・・・)
宝物殿は伏見城の遺構なのです。



世界文化遺産の平等院鳳凰堂が見えています。



宇治川左岸から、喜撰橋を渡って塔の島へ。



塔の島にある「宇治川先陣之碑」。



朝霧橋を渡って右岸へ。



右岸を南進。
観流橋通過。



興聖寺着。
何と!ここにも伏見城の遺構があるのです。



琴坂を上りきり興聖寺山門着。
独特な形状の山門です。



興聖寺本堂全景。
この建物が、そっくりそのまま遺構なのです。



本堂内に確かに「伏見桃山城の遺構」と書かれてあります。



天井を見上げます。



興聖寺本堂を後にします。
前方に山門と、そして琴坂が見えています。



とっても面白い構図で琴坂が見えています。



とっても素敵な雰囲気の琴坂。



興聖寺を後にして山科川沿いを、伏見目指して走ります。



月見館横通過。



観月橋駅で停車中の宇治線車両。



源空寺着。



源空寺の解説板。



源空寺山門。
この山門が伏見城の門だったそうです。



源空寺山門の内部。



源空寺を後にして少し走り、次に御香宮へ。
この御香宮の表門が、伏見城の大手門でした。



御香宮の解説板。



御香宮境内に入ります。
伏見義民事蹟前通過。
普段は鍵がかけられている門が、今日はなぜか開いていました。



拝殿。
この拝殿は、伏見城の車寄だったのです。



独特の形状の、拝殿屋根部分。



御香宮外周の塀石。
これは伏見城の石垣でした。



伏見城跡残石。
文字通りです。
こんなものが今でも残っているなんてすごい!



御香宮を後にして、次は栄春寺へ。
栄春寺の解説板。



栄春寺總門。
これも伏見城の遺構です。



栄春寺を出て、近くのスーパー・イズ※ヤで昼食。
このカツ丼定食は、カツ丼のご飯大盛りにミニうどんがついて750円なり。
いっただっきま〜す!(^^♪



食事を終え更に北上。
東福寺境内へ。



紅葉の名所で知られる庭園の向こうに通天橋を望む。
この庭園は紅葉もキレイですが、新緑の美しさもこれまた抜群なのです。



東福寺境内から東大路通りに出て更に北上。
南大門着。



養源院着。
「桃山御陵 血天井」と書かれています。



養源院の解説板。



この養源院本堂が伏見城の遺構です。



時間が残り少なくなってきました。
養源院を後にして最後の目的地・西本願寺へ。
西本願寺境内に入って、塀に沿って奥へ入っていきます。
小さいですがそれでも歴史がありそうな建物が、奥のほうにはいっぱいありました!



西本願寺境内の奥にひっそりと建っている書院と思われる場所着。
西本願寺の書院は伏見城の「対面所」の建物でした。



書院と思われる建物の屋根部分をズーム!
帰宅してから調べたら、実はこの建物は「書院」ではないことが判明。(>_<)
第2次調査で再度ここに訪れることにします。



書院のすぐ近くには国宝の唐門があります。



唐門全景。
この唐門は、伏見城の唐門だったのです。



とっても豪華な門だったようです。



凄い彫刻!!
何かの動物を人間が綱をつけて引いているようです。



西本願寺にこんな素晴らしい門があることは、今日まで全く知りませんでした。



西本願寺を後にします。
境内の一角にある 新撰組ゆかりの「太鼓楼」前通過。



西本願寺境内にある聚楽第(飛雲閣)です。
ここは西本願寺境内にあるにもかかわらず、西本願寺境内からは見ることができません。
秋に一般公開される以外 普段は公開されておらず、しかも秋に一般公開されても聚楽第の敷地内では写真撮影禁止。
この写真は、その「幻の」聚楽第を今日写したもの。



聚楽第・悲雲閣をズーム!
1586年に豊臣秀吉は旧平安京大内裏跡地で聚楽第の建設を開始しました。
聚楽第には各地の大名の屋敷を集め、豊臣が京都における政治の中心地にしようとしたことがうかがわれます。
翌1587年に聚楽第は完成し、さらにその翌年の1588年には後陽成天皇の行幸が盛大に行われ、秀吉の勢威は益々世に知れることに。
しかし秀吉は次第に政治の中心を伏見へ移すようになり、聚楽第も解体され伏見城の資材とされ、聚楽第は廃城となってしまいます。
それでも各地に移築された遺構がいくつか残り、大徳寺の唐門やここ西本願寺の飛雲閣などもそうしたもののひとつです。



全ての作戦を終え帰宅モードに。
さて大急ぎで帰ろうっと!



京都駅・八条口前通過。
よく考えると、この位置で京都駅の写真を撮ったの初めてです。







当時のリサイクルは徹底していたようで、城などが解体される際には築城の資材を提供した藩が釘一本まで持ち帰ったようです。
もっとも釘と言ってもあなどれません。
当時の釘は和釘で、極めて純度の高い金属だったようです。
純度が高いので錆が来ず、建築物が腐りにくかったのです。
しかし良いことばかりではなく、「たたら場」で鉄を精錬するのに一山の木全てを切りつくしてしまうこともこともあったようで、当時の自然破壊の大きな要因でした。
もののけ姫」に出てくる動物達の怒りはそんなことも背景に考えられたのだろうと、御香宮の宮司さんから聞いたことがあります。

今日の走りでは時間がなかったので、計画の半分程度しか周れませんでした。
それでも伏見城の歴史に触れることができ、在りし日の伏見城に思いをはせることができました。
残りの遺構については「第2次探索活動」で周ろうと思います。



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