今日は、作戦名「デンンシャゴッコ」第3弾の下見ランを兼ねて、京福電鉄嵐山線(通称「嵐電」)の20駅全てを訪問しました。
駅全てを周った後に嵐山へ。

嵐山でしばし日没を待ち、日没後に渡月橋のライトアップを楽しみました。
その後、ロームのイルミネーション、それに「木屋町ランプの旅」を見ました。
普段と異なる、そして私の知らなかった京都の顔を見た。
そんな素晴らしい一日になりました!

本日の走行距離、約80km。(正確には不明=サイクルコンピュータ断線中)


2005年12月4日(日)



午前10時半ごろに自宅を出発。
ひた走って嵐山近くへ。
こ、こんな看板が。
ゴジラ組正規軍・山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」の犬夜叉隊長が応援してしてくれている気がしてきました。



「嵐電駅巡り」の最初の目的地着。
嵐山駅です。



観光地らしい駅の雰囲気が漂います。



嵐山駅構内。
かつてはこの駅構内から、廃線になるまで愛宕鉄道の電車も発着していたのです。



とっても立派な駅構内。



構内の足湯。
嵐山で温泉が湧いた際に、この足湯も作られました。



嵐山駅を後にして、 「嵐電駅巡り」の2番目の目的地着。
嵯峨駅前駅です。
この嵯峨駅前は無人駅で、改札口などはありません。



この駅名にもなっている嵯峨という地名は、平安文化の基礎を作ったといわれる嵯峨天皇に由来します。



電車がやって来ました。



駅の近くにある長慶天皇陵へ。



この敷地内には、平安時代の陰陽師「安倍晴明」の墓所があります。
立ち入れませんので、その墓所を見ることはできません。



長慶天皇陵を後にして、 「嵐電駅巡り」の3番目の目的地着。
鹿王院(ろくおういん)駅です。
この駅も無人駅。



鹿王院駅ホーム。



この駅名は、鹿王院近くにあるのでこのようにつけられました。



鹿王院までやって来ました。



ここは、足利義満が創建しました。
普明国師が没した際、追悼のため開山堂を建立することになりヤブを切り開くと、鹿の集団が現れた鹿王院と名付けられたとか。



有料ゾーンの境内になぜかフリーでは入れました。
タクシーで乗り付けたお客さんも、「お金は払わないでいいんやろか。」などと話しながら境内に入ってきました。



足利義満が切り開いた藪なのでしょうか。
境内にはよく整備された竹林がありました。



あまりゆっくりそしていられません。
鹿王院を後にして、 「嵐電駅巡り」の4番目の目的地へ。
車折(くるまざき)駅です。
この駅も無人駅。



「車折」の名の由来は、後嵯峨天皇が大堰川に来た際にこの神社前で牛車の車軸が折れ動かなくなったからとか。



嵐山行きの電車がやって来ました。



車折神社へ。



車折神社境内には芸能神社があります。
懐かしい名前が!!



芸能人の皆さんの思いがひしひしと伝わってきます。



・・・・・。



これも「シネマの都」という京都のひとつの顔。
京都って、本当に奥深い街だって思います。



まだ紅葉が残る境内を周ります。



芸能神社を後にします。



次に、 「嵐電駅巡り」の5番目の目的地へ。
有栖川(ありすがわ)駅です。
この駅も無人駅。



駅近くにある、観空寺谷に源を発し桂川に流れ込む有栖川にちなんだ駅名です。



嵐山行きの電車がやって来ました。



一両編成の電車しか見かけませんが、それでも結構多くの本数があるのに驚きます。
「地域に密着したいい鉄道だな」って思います。



有栖川駅を後にして、松竹京都映画撮影所へ
ここは多くの日本映画の名作を生んだ場所で、今でも映画やテレビドラマなどが製作されています。



撮影所内は見学ができませんので、外から中を見ます。
少しの間でしたが、俳優さんらしき人が何人も出入りしていました。



「嵐電駅巡り」の6番目の目的地へ。
帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅です。
この駅は大きい駅で有人です。



地名が駅名になっています。
地名の由来は、9世紀に壇林皇后の葬列がこのあたりにさしかかった時、突然の強風で棺にかけられていた帷子が舞い落ちたからだと言われています。



嵐山駅を後にしてからここが初の有人駅。
改札口は地下にあります。



帷子ノ辻駅を後にして更に東進。
広隆寺前通過。



広隆寺に少しだけ寄ってみます。



「嵐電駅巡り」の7番目の目的地着。
太秦(うずまさ)駅です。
この駅は無人駅です。



太秦駅ホーム。



渡来人・秦氏の本拠地であったこの地。
「日本のハリウッド」と呼ばれた時期もあり、日本映画の発祥の地で知られています。
その地名が駅名になっています。



太秦駅は上りと下りが別の場所にあります。



太秦駅から広隆寺を望む。



太秦といえばここ。
太秦映画村です。



映画村構内。



「男たちの大和」って、12月17日から上映開始の映画ですね。



映画村を後にして、広隆寺前通過。



三吉(さんきち)稲荷着。



三次神社本殿。



境内には、懐かしい俳優の奉納した石が並んでいます。
この石には、「大河内傳」の名前が読み取れます。
「シェイ(姓)は丹下、名はシャジェン(左膳)」の言葉で一世を風靡した、あの大河内傳次郎さんの奉納した石だと思われます。




付近のお店。
往年のスターに似ているような似ていないような・・・・。
なかなか味のある絵が描かれていました。



太秦を後にして、 「嵐電駅巡り」の8番目の目的地着。
蚕ノ社(かいこのやしろ)駅です。
この駅も無人駅です。



駅の北にある木島神社は、奈良時代以前に創建されたと言われています。
境内には、日本に養蚕を伝えたとされる秦氏ゆかりの「蚕の社」があることから、「蚕ノ社」と呼ばれています。
それに由来した駅名です。



駅構内。



木島神社。



境内奥へ。



不思議としか思えない、この柱を3本組み合わせた石鳥居。
この不思議な石鳥居は、京都御苑内の唐破風鳥居、北野天満宮内の伴氏社の鳥居と並び、京都3大鳥居のひとつとされています。



木島神社を後にし次の目的地へ。
専用軌道を走っていた線路は、この辺りから道路を走るようになります。



猿田彦神社着。



猿田彦神社境内。



「嵐電駅巡り」の9番目の目的地着。
山ノ内駅です。
この駅は駅舎がなく、路面に安全地帯があるだけです。
当然、無人駅。



ここが駅である証拠発見!



私が、雨で濡れた軌道敷で転倒して右肩の鎖関節を失ってしまった自損の大事故を起こしたのは、この付近だったことを思い出しました。(>_<)



西本願寺別院角坊別院へ



ここは親鸞聖人往生の地と言われ、親鸞聖人の立像があります



別院を後にします



山王神社着。



樹齢700年と言われる「山王楠」。



山王神社は、夫婦和合・安産祈願の信仰が厚い神社。
これは境内にある夫婦岩。
右が男岩そして左が女岩です。



夫婦岩の解説。



本殿。



赤山神社と若宮神社。
それぞれに歴史がある小社です。



山王神社を後にして、 「嵐電駅巡り」の10番目の目的地へ。
三条口駅です。
この駅も無人駅。
って言うか、路面に安全地帯があるだけ。



と思ったら、ホームがありました。



三条口駅は、上りと下りで駅の形態が全く異なるようです。



「下り」のホーム(だと思います。)の駅表示板。



三条口駅の、下り(かな?)ホーム。



鉄路。
その鉄路にロマンを感じるのは、決して私だけではないはず。



前方で、線路が分かれています。
何でかな〜??



嵐電車庫発見!



電車の洗車機。
初めて見ます。



西院(さい)駅着。
「嵐電駅巡り」の11番目の目的地着です。
この駅も無人駅。



嵐山行きの電車がやって来ました。



阪急電車では、駅を「西院」と書いて「さいいん」と読みます。
でもここ嵐電の駅は、「西院」と書いて「さい」と読みます



駅から見る道路上の線路敷。



西院駅を後にして壬生の名水「鶴寿井」へ。



壬生の名水「鶴寿井」。



壬生寺へ。
「夜鳴き地蔵」前通過。



壬生寺境内に、ゴジラ組隊員・・・・。
基!新撰組隊員のような人物がいました。



壬生寺。
この風景を見て、果たして何人くらいの方ガ「ここは京都だ!」って思われるのでしょうか。
ちなみに。
私は自転車を本格的に乗るまでは、京都に壬生寺のこんな風景があるとは知りませんでした。



壬生寺境内。



嵐電の東の終点である四条大宮駅着。
「嵐電駅巡り」の12番目の目的地着です。
この駅は立派で、有人駅です。



四条大宮駅構内。



四条大宮駅を後にして北進。
北野白梅町駅を目指します。
路面電車が見えてきましたので、北野白梅町駅まであと少し!



嵐電の北東の終点である北野白梅町駅着。
「嵐電駅巡り」の13番目の目的地着です。
この駅も有人駅です。



北野白梅町駅構内。



北野白梅町駅を後にして西進。
「嵐電駅巡り」の14番目の目的地着に着きました。
この駅は無人駅。



等持院駅です。
駅近くにある足利尊氏の菩提寺である等持院にちなんだ駅名です。



帷子ノ辻行き電車がやって来ました。



等持院に寄ってみました。



等持院のフリーゾーンには、まだ美しい紅葉が残っていました。



等持院を後にして、「嵐電駅巡り」の15番目の目的地着。



竜安寺道駅です。
この駅も無人駅。



駅名は、石庭で有名な知られる「龍安寺」に由来して名づけれました



「竜安寺駅」でなく「竜安寺道」と駅名がつけられた理由が分かったような気がします。
駅からこの先をずっと行き、大きな道路を横切って竜安寺に行き着きます。



北野白梅町から単線だった線路も、この辺りから複線になります。



「嵐電駅巡り」の16番目の目的地着。



妙心寺駅です。
この駅も無人駅。
禅寺妙心寺北門に近いところから、この駅名がつけられました。



このオープンなホーム!



妙心寺駅を後にして御室駅着。
「嵐電駅巡り」の17番目の目的地着です。
モダンで古風な駅舎は、「近畿の駅 百選」に認定されています。



立派な駅舎の御室駅も無人駅になっています。



かなり広い御室駅ホーム。



駅前には世界文化遺産に登録されている御室仁和寺があります。
駅名は、その御室仁和寺に由来しています。



「嵐電駅巡り」もあと3ヵ所になりました。
18番目の目的地着。
この駅も無人駅です。



高雄口駅です。
駅名は高雄へ向かう起点に位置するところから、こう名づけられました。



電車がやって来ました。
長時間駅を巡っているので、あるいは同じ運転士さんの電車を見ているかもしれません。



北野白梅町方面行きホーム。
高雄口駅は、上りと下りでホームの位置が異なります。



「嵐電駅巡り」もあと2ヵ所。
19番目の目的地着。
この駅も無人駅です。
それにしてもこのオープンさ!
ホームへモスラ号で入れます。



かつての地名である「鳴滝村」から、駅名がつきました。
北側の峰々から流れを発する御室川が、この辺りで滝となっていました。
雨が続いたある日、滝が大きな音を立てていました。
滝の鳴る音を聞いた村民達が避難した後、大洪水が押し寄せました。
滝の音に命を助けられた村人達は、それまで「長尾の里」と呼ばれてきたこの辺りを「鳴滝の里」と呼ぶようになったと言われています。



とってもオープンなホーム。
ホームからすぐ向こうは道路です。



普段は厳重に管理された駅しか見ていないので、こんなのどかな駅を見ると何だかホッとします。



最後の目的地の常盤駅着。
嵐電の全ての駅を走破した瞬間です!!
この駅も無人駅です。



常盤駅ホーム。
源義経の母・常盤はこのあたりで生まれ、そして晩年を過ごしたとされています。
駅名は、このあたりの地名からつけられました。



嵐電駅巡りを終え、嵐山に戻ってきました。
今日は今から、渡月橋のライトアップを見ようと思います。



寒風吹く中、正面に見える愛宕山に雪が降っているのを眺めながらしばし待ちます。
ライトが点灯されました!



あっと言う間に辺りは闇に包まれます。
渡月橋のライトアップは初めて見ますが、とってもキレイ!



渡月橋を渡って、対岸へ。



川の中では灯篭も灯されました。
辺り一帯に幻想的な雰囲気が漂います。



岩田山あたりもライトアップされました。
青いライトが使われているのは、お猿さんが眩しくならないようにかな?



美しい生け花もライトアップされていました。



嵐山を後にしてロームがある西大路五条付近の佐居町へ。
大迫力の美しいイルミネーションが目に飛び込んできました!



以下、ロームの素晴らしいイルミネーションをお楽しみください。















ロームのイルミネーションを満喫しました。
ロームを後にして、今日の最後の目的地の木屋町に向かいます。



木屋町着。
「木屋町ランプの旅」と名づけられた美しい光を見つけました。



なんとも不思議な光です。
ランプの光が高瀬川の清流に映えます。
この「木屋町ランプの旅」は、車屋橋−紙屋橋間の約200メートルで、樹脂紙を組み合わせた丸いランプを高さ1−2メートルの高低差をつけて川の中に設置したもの。



成安造形大(大津市)でグラフィックデザインを学ぶ3年生5人と教授が作成。
8日から始まったランプの点灯は今日までなのです!
間に合ってよかった!(^_^)v




様々な顔を持つ京都。
その京都の、また新しい顔を見つけたようなそんな気がする今回の走りでした。


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