今日は、土曜出勤の代休日!
平日の休みはなかなかおつなもの。(^^♪

月曜ということで、ゴジラ組正規軍突撃隊・山岳遊撃特殊旅団「のらくろ戦隊」の犬夜叉隊長も行動参加。
久々の「のらくろ戦隊」として作戦行動が実現しました。
作戦名は「伏見を揺るがす紅葉雪崩」(もみじなだれ)。
この作戦名は、行動終了後にgodzillaが命名。
え?遅すぎるって? (>_<) ドモドモ)。
そんなこんなで。
犬夜叉さん企画の、伏見の歴史に触れる、「のらくろ戦隊」の活動に輝かしい1ページを刻んだツアーになりました。

この作戦に、組の新しいレディスが初登場!
その名は、「クマちゃん」でっす。(^^♪

本日の走行距離、約60km。(正確には不明=サイクルコンピュータ断線中)


2005年11月6日(月)





自宅を出てひた走り伏見通過。
酒造工場のタンクが青空に映えます。
この後、北上しすぎて久我橋まで行ってしまいました。(>_<)



久我橋から結構走って、やっとこさ宮前橋着。
犬夜叉隊長の指揮の下、部隊編成を行っていざ作戦行動開始!
まずは淀巡り。
唐人雁木趾(とうじんがんぎし)着。
江戸時代に朝鮮から日本へ祝い事のために派遣された人(唐人)を迎えた船着場(雁木)跡です。



次に淀小橋旧趾着。
淀小橋は、納所から宇治川を渡り淀城下に続く重要な橋でした。



次に、千両松慰霊碑へ。
1868年1月15日。
伏見で敗れた幕府軍は、秀吉が植えたと言われる千両松があったと言われるここに陣を構えます。
千両松付近は当時は湿地帯で、湿地帯は攻撃側に不利なため幕府側の優勢で戦いは展開。
しかし、官軍側の騎兵隊を中心とした激しい攻撃でじわじわと要所を押さえられ、長時間の激戦の末に幕府軍は壊滅状態で淀に敗退。
その時の戦いの犠牲者を弔う慰霊碑です。
競馬場拡張などの工事で慰霊碑が傷つけられた時には幽霊騒動まで起こったそうですが、工事終了後に慰霊碑が元に戻され盛大な供養を行われたことで幽霊騒動は治まったとか。
ふと見上げると、澄んだ青空が。
何だかとっても不思議な気がしてきました。



淀川瀬水車旧趾(よどのかわせのみずぐるまきゅうし)着。
江戸時代に、淀川の水を汲み上げて淀城のお堀に流していた水車があった場所。



淀城へ。
残っている石垣が、当時ここに大きな城があったことを教えてくれます。



与杼神社(よどじんじゃ)。



本殿へ向かいます。



与杼神社は、応和年間(961〜964)の創建とされる歴史の古い神社です。



淀川渡場があった場所みたいです。



ニャンコ発見!



淀城跡を巡ります。



淀城の由来書き。
淀君ゆかりの淀城はこの淀城跡ではなく、ここから北方約500メートルの納所にあったと推定されています。



天守台跡の石。
1987年の石垣の解体修理に伴う発掘調査で、大小の礎石を含む石蔵が発見されました。
この石蔵は、四隅に櫓を持つ天守閣の地下室と基礎だと推定されています。



石垣の上から見るお堀跡。



天守台跡。
侵入されないよう、天守台への道は鉄門で厳重に封鎖されていました。
が?(意味不明)



淀城に、さ、三等三角点って!?
そ〜んなバナナ!?



あ、ありました!
淀城跡に三角点があったとは驚きです。



「三角点を大切にしよう」などと考えながら自転車を押し、淀城趾の碑へ。



ミニですが、淀城のお堀に水を引いていた水車のモニュメントが。



こんな石碑へ。
えっとここはと言うと・・・・・。
何だろう?(オイオイ)



妙教寺着。
淀君ゆかりの淀城跡のここ妙教寺には、戊辰戦争の東軍の慰霊碑があります。



淀城跡と戊辰戦争で砲台が貫通した跡であると、石碑には記されています。



「境内にこんなものがある」と、犬夜叉さんに教えていただきました。
かつての戦争の犠牲になった19歳の若者をしのぶ石碑です。
日本が再びこのような時代を迎えませんように・・・・・。
「温故知新」という言葉が脳裏に浮かびます。



絞首刑になった若き木村久夫さんが残したことばが刻まれた碑。
この遺文は、「きけわだつみのこえ」に収録されています。
「眼を閉じて母を偲べば幼な日の 懐(いと)し面影消ゆる時なし
 音もなく我より去りしものなれど 書きて偲びぬ明日という字を
 おののきも悲しみもなし絞首台 母の笑顔をいだきてゆかむ」
これは、処刑直前に木村さんが残した句。
大衆が計り知れない大きな犠牲を払わされたあの戦争に導いたのは、ほかならぬ我が日本の政治家。
「政治はこれでいいのか?」という視点で、大衆が厳しい目で今の政治家とその行動を監視していかなければなりません。



妙教寺を後にして自転車道に入り、自転車道を北上。
「茶屋跡」だと犬夜叉さんに教えてもらった石碑を見ながら走ります。



桂川の魚市場跡着。
自転車道沿いにあります。



かつてここが船着場だったことを示す碑。
クマちゃんの尽力で、石碑を隠していた草が除かれました!



羽束師橋を渡ります。
この風景は何度も見ていましたが、犬夜叉さんの説明を聞き驚き!
右側の流れは天神川だと思っていたんですが、鴨川だそうです。
京都市街中心部を流れる鴨川は、ここで桂川と合流します。



羽束師橋を渡ると、何となく建物の雰囲気が違うような気がします。
「陥落記念」と読める石碑が。



「陥落記念」の石碑上には何と!
半鐘がありました。



北向見返天満宮着。



菅原道真ゆかりの神社です。



羽束師坐高御産日神社(はずかしにますたかみむすびじんじゃ)。
この辺りは低湿地ですが、古くから農耕が行われていました。
水上交通の要という立地ということもあり、 「乙訓・羽束郷」と称され開発されてきました。



長い参道が続いています。



真ん中が通路になった構造の本殿。



境内を巡ります。



歴史がありそうな狛犬。



美しい竹が。
ただ・・・・・・。
もう11月なのに、足を蚊に散々食われてしまいました。
か、痒いよう。(T_T)



次に、妙覚山誕生寺(みょうがくさんたんじょうじ)へ。



大きな提灯!。



ズーム!



道元禅師幼少像。
幼少時、道元は神童と言われたそうです。



境内にある水琴窟。
水を流して、しばし水琴窟の音に聞き入りました。



境内を周ります。



道元禅師の産湯の井戸跡があると犬夜叉さんに聞いたので、探します。
これかな?



やはりここでした。
今でも、しっかりと井戸として残っていました。



誕生寺を後にして鳥羽離宮南殿跡(鳥羽離宮公園)へ。
紅葉がきれい!



鳥羽伏見戦闘図が記された銅版。



公園の北側にある、離宮の築山跡の遺構と考えられる「秋の山」。
その秋の山には、こんな石碑が。
かつてここには薩摩藩の大砲があり、そのたった1発の砲弾が歴史を変える事件へとつながっていきます。



鳥羽離宮南殿跡には、こんなきれいな紅葉が!!



ほとんど人気のない公園内で、とっても贅沢な紅葉狩り。
この紅葉、「のらくろ戦隊」の貸切って雰囲気です。



次に鳥羽伏見戦跡へ。
ここは、鳥羽伏見の戦いの発端の地「小枝橋」があったところです。



次に鳥羽伏見戦跡の説明板。
車で走っていては、この説明は絶対に読めません。



鳥羽伏見戦跡の碑がある小枝橋跡の次に、城南宮へ。
あらゆる病が治ると言われている「菊水若水」です。
え、「恋の病はどうなんだ?」ですって。
さあ、一体どうなんでしょうねぇ・・・?(^_^;)



境内には、七五三のかわいい飾りが。



菊花展も開催されていました。



城南宮本殿。



何やら儀式が行われていました。



美しい紅葉。



城南宮庭園。



城南宮を後にして、付近のラ※ホテル街のど真ん中にある「後宮塚 陵墓参考地」へ。



田中殿之跡へ。
平安時代に白河上皇によって開始された鳥羽離宮造営は、南殿、北殿、東殿などの順で、次から次へと新御殿が建設されました。
その中のひとつが、ここ田中殿。
田中殿は、崇徳上皇が使っていたと言われています。



次に、白河天皇成菩提院稜へ。



白河天皇成菩提院稜を見ながらふと後ろを振り返ると、京都には不似合いな高速道路の工事現場が目に飛び込んできました。
今の京都府・市政は、住民の側に立った暖かいものだとは私にはとうてい思えてきません。



北向山不動院 (きたむきざんふどういん) 着。
鳥羽天皇の勅願により鳥羽離宮内に創建され、伝教大師が刻んだ不動明王を北向きに安置したので、天皇から北向山不動院<の名をもらったのが名前の由来。



タイムスリップしたような境内へ。



「自転車はタイムマシンなり」と、ふと感じる瞬間です。



時間が止まったように感じる境内。
時間をかけて周ることにします。



何と書いてあるのでしょうか・・・・?



驚いたことに、境内に瀧場がありました!



北向山不動院を後にして、安楽寿院 (あんらくじゅいん) の石造五輪塔前通過。
この石造五輪塔は重文です。



鳥羽天皇安楽壽院陵着。



鳥羽天皇安楽壽院陵付近を散策。



冠石。
鳥羽天皇は譲位後、白河上皇の創建した鳥羽離宮に入ってから多くの建物を建て増ししました。
その時、この石の上に冠を置いてここを中心に建設したと言われています。
この石標は、その石がここにあったことを示しています。



「白川法皇 鳥羽法皇 院政の地」と記された石碑。



石地蔵様の破片は、クサ(皮膚病)に効果があると伝えられます。
それゆえ、この地蔵様の顔がかなり削られています。
でも驚くことに、その言い伝えは今でも続いているようです。
地蔵様を覆う屋根の一部から、金属製の「こて」がぶら下げられていました。
「これで地蔵様の顔を削ってください」とでも言うように・・・。
実際のところは分かりませんが。



以前偶然に来たことがある場所通過。
確かここには、「鳥羽離宮跡」と書いた説明板があったはず。



説明版発見!
これを見るのは2回目です。



安楽壽院へ。



近衛天皇安楽壽院南陵の多宝塔



踏切が閉まったので停車。
この風景。
政令指定都市の京都市・伏見区の街並みなのです。
信じられますか?



閉まった踏み切りの中に、何やら石碑のようなものが見えます。
犬夜叉さんにそれが何かを尋ねると。
伏見の歴史にかかわる石碑だって!(@_@;)



木と木の間にしめ縄が張ってある場所。
しめ縄は、既に切れていました。
このしめ縄は、切れてしまっても もうその年は付け直しません。
しめ縄の切れる時期は、不作・豊作と関係があるそうです。



稲荷山からは水が小さな川となって下っています。
それがどこに流れていくかなんて、今まで考えてもいませんでした。
その稲荷山の水が、ここで新高瀬川と合流する!
そのことを、犬夜叉さんに教えていただきました。



スーパー「イズミヤ」の南側で、琵琶湖から流れてきた水は二つに分かれます。
その別れた水の西進した分が、ここで新高瀬川と合流するとか。



松本酒造のレトロチックな建物が見えてきました。



新高瀬川を渡ります。



前方に、奮闘するクマちゃんの姿が!



三栖の(こう)門展望台が見えてきました!



三栖の門着。



水の都である伏見。
その雰囲気を、ここ三栖で濃厚に感じることができます。



伏見港があったこの地を象徴する、船のモニュメント。



ここがどこだか忘れてしまいそうになるような、そんな風景。



寺田屋目指して、疎水沿いに北進開始。



出合い橋付近の、角倉了以の石碑。



安寿と厨子王。
その悲しい話で聞き覚えがある高瀬川は、今ではここに流れ込んでいます。
溝のようですが、これは高瀬川そのもの。



寺田屋へ!



歴史に触れながら伏見をずっと周ってきました!
このことばの背景が、とってもよく理解できます。



「猫田屋」の変が勃発!?
寺田屋庭園にいたネコにカメラを向けたら逃げよりました。
この猫は前にここに来た時にもいました。
あんさんを写した写真を、「伏見絵ハガキこんてすと」に応募したのに・・・・・。



寺田屋庭園の竜馬像。



当時のものと思われる井戸跡。



「寺田屋浜」の石碑。
かつてはここに港があったことを、この石碑は主張しています。



今は駐車場になっている「寺田屋浜」から見る、夕刻間近の宇治川派流の眺め。
素敵です。



「寺田屋騒動祉」の説明板。



黄桜!



こんな風景。
最高デッス!
伏見は間もなく日没を迎えます。



長建寺着!



長建寺境内の灯篭!



十石船に時を知らせたこの鐘!
当時のままの本物なのか、あるいはそうでないのか!?
犬夜叉隊長の知恵ある作戦で、ことの真実が判明。
WAO!



長建寺を後にして、伏見奉行所跡へ。
こんなところに奉行所跡があったってことは、今ではほとんど誰も知らないのかもしれません。



次に、常盤御前が捕らえられた場所へ。
こ、こんな所があったなんって!?(@_@;)



桃山御陵へ。



230段の階段の上着。



階段から見る南側。



階段を1往復半して、犬夜叉さんに乗って下りてもらったモスラ号と階段下で再開。
上り坂をえっちらおっちら上ります。
こんな所を通りました。



上り坂を上がっていると、道を下ってきたクマちゃんと再会。
クマちゃんと共に再び階段上を目指し、犬夜叉さんとも合流。
次にみんなで伏見桃山城を目指します。
到着!



秋の夕陽を浴びる伏見桃山城。



犬夜叉さんの案内で、「とっておき」の場所へ。
伏見桃山城が一望できます!



ズーム!





古い歴史の伏見。
史跡の多さに驚き、そして風景の美しさに感動しました。
伏見は素晴らしい!
心から、改めてそう思いました。

案内してくださった犬夜叉さん。
ありがとうございました!
初参加のクマちゃんを交えてのツアーは、本当に楽しいものになりました。(^^♪



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