今日も、京都市街のお寺巡りなどをしました。

本日の走行距離、約75km。(正確には73.67km)

2005年8月15日(月)




自宅を出発し、伏見着。
明治維新のメインステージである寺田屋前通過。



伏見のスーパー・イ※ミヤ着。
雨が降ってきたので、少し早いですが雨宿りを兼ねた昼食にします。
このカツ丼セットは、柔らかくてヘルシーな赤身肉のカツ丼で、ごはん大盛りで750円。
お得なので、私はよく利用します。



伏見を後にしてドンドン北上。
京都大仏殿石垣前。
まずは、石川五右衛門の隠れ家を目指します。



京都大仏があった方広寺。
ここ方広寺大仏殿の向かい側に大仏餅屋がありました。
盗賊の石川五右衛門はその餅屋の養子となってここに居つきました。
餅屋に住みだしてから少しして、五右衛門は連日 餅屋の裏庭の土蔵の地面を掘り始めます。
目的は、伏見城。
長い間かかって、ついに伏見城の下まで掘り進んだ五右衛門は城内に潜入。
しかし城内で侍に見つかり捕まってしまいます。



石川五右衛門の隠れ家は、方広寺から西に100mほどの所にあったとの説もあります。
その場所は、大和大路のちょうどこの辺りです。



方広寺を後にして、清水寺を目指します。
五条坂のこのダラダラ坂で、思い切り汗だくに。(>_<)



清水寺の無料入場ゲート着。
清水寺境内に入ります。



この日の音羽の滝など境内は、かなりの大混雑。
朱印をいただく場所を探したのですがよく分からないので、短時間の滞在だけで、混雑した境内から出ることにします。



清水寺を後にして、六波羅蜜寺へ。



六波羅蜜寺境内には「阿古屋塚」があります。



この塚は、鎌倉時代に造られた花崗岩の塔で、台座は古墳の石棺の蓋が使われています。
近松門左衛門の「出世景清」などで「阿古屋の琴責め」が世に知られるようになり、その阿古屋の名と下火(あこ)が同音であることから阿古屋塚と呼ばれるようになったといわれています
この辺りは鳥辺野葬場の入口にあたり、遺骸を荼毘に付す際の下火(あこー下炬)という点火方法がとられていたのです。



次に、「撞かずの鐘」がある報恩寺を目指します。
浴衣姿の女性を見ながら、赤信号が変わるのを待ちます。



報恩寺がある上京区上立売小川通上ル付近を走っていて、こんなものを見つけました。
一体これは何だろう・・・・。



応仁の乱の現場ということで知る人ぞ知る「百々橋」。
何とこれは、その百々橋の礎石でした。



報恩寺着。
この寺の近くに織屋がありましたが、丁稚と織女が仲がいいjのか悪いのか・・・。
よく二人で仕事が終わってから一緒に過ごしていました。
ある時、報恩寺の鐘は何回撞かれるかということで二人は口論を始めます。
丁稚は八つだと言い、織女は絶対九つだと言って激しい言葉の応酬が・・・・。
明日聞けば分かるということで、やがて二人は明日も報恩寺に来ることを約束して別れました。
翌日、丁稚は朝から報恩寺にやって来て、寺男に「今日の夕の鐘は八つで止めて欲しい」と頼みました。
人のいい寺男は快諾。
そして夕刻・・・・・。
二人は一緒に夕の鐘を聞きながら数を数え始めました。
ゴーンと鳴る鐘の数は、八つでピタリと鳴り止みました。
鐘の数は百八が基本であり、その百八の12分の1の九回が本当は正しいのです。
丁稚は織女が九つだと言い張ったことを責め、織女はそれが原因で鐘楼で首を吊ってしまいます。
それ以来、鐘をつくとよくないことが起こるようになったので、朝夕の鐘はつかれなくなりました。
今でもこの鐘は、除夜と大法要の際にしかつかれることはありません。



いわれの説明版。



報恩寺を後にして、一条戻り橋へ。
途中、少しだけ道を間違えました。



一条戻橋から100mほど東に行った場所に、「小野小町雙紙洗水遺跡・小野通」と刻まれた石碑があります。
石碑発見!



ここは昔、小野小町が草紙洗いに使ったといわれた井戸があったのです。
この南北の通りは「小町通」と言います。
この付近一帯は、謡曲「草紙洗小町」に出てくる小野小町の伝説の地なのです。



次に、阪急西院駅近くにある「西院(さい)の河原」へ。
西院の河原は正式には、高山寺という名前のお寺です。



ここはずっと民衆の葬送の地でした。
しかし、いつしか葬送の地は七条に移されました。
それでもなお、15歳以下の子どもはこの地に葬られました。
子どもは葬儀が行われず、この地に捨てるようにと定められていました。
いとしいわが子の遺骸をこの地に「捨て」ざるを得なかった悲しい親心、それは、考えなくても分かります。



「さいの河原」ということばは聞いたことがあります。
その場所が京都にもあったとは・・・・・。



境内におられる地蔵様。
その姿を見て救われる思いがしました。



地蔵様の後にある、多くの小さな石仏。
石仏を刻むことができたのは、ほんの一握りの人だったはず。
子を失った後もなお、わが子の十分なことができなかったと悔やんだであろう人々。
その親心を思うと、目を開けていられなくなりました。
南無阿弥陀仏。



境内のなで仏をなでながら、思いました。
わが子を、そしてよその子を、そして全ての人を大切にしたいな・・・。
大切にできたらいいなって。



重たくなった心を背負いながら、車折神社へ。



車折神社へのいわれ。



緑美しい、車折神社。
でも次の目的地はここではありません。
次の目的地は「ルルゲさん」です。



ルルゲさんは、「安堵の塔」とも呼ばれています。
場所が分かりにくいので、散々探しました。
探していて、「油かけ地蔵」にもお参りしました。



ルルゲさんをやっと発見!
小さな石碑だと思って探していたので、かなり時間をかけて探しても分かりませんでした。
想像と違い、実際の大きさは高さ1mをはるかに越えていました。



ルルゲさんの説明版。
日蓮の弟子龍華樹院日像が車折神社の近くで辻説法を行っていた時、他の宗派の人物から暴行を受けます。
その時、身を隠して安全に逃れたのが冑塚古墳。
その災難から逃れられたことを感謝して古墳の石蓋に波動(なみゆり)の題目を刻んだそうな。
それがこの石なのです。



その石に人々は「災難逃れ」を託すようになりました。
いつしかこの石は、「ルルゲさん」と呼ばれるように・・・・・。
ちなみに、「ルルゲ」の語源は、龍華(りゅうげ)だとか。



夜間にはPC講座があります。
あまりゆっくりできないので、帰宅モードに。
こんな家がありました。
現役の住居だったので、少し驚きました。



稲の美しい緑。



東北地方は「やませ」で冷夏。
四国は水不足で、田んぼのい土はひび割れているとか。
でも、京都の稲の生育は順調。
すくすく育つ稲を見ると、心から嬉しくなります。(#^.^#)



梅小路公園内通過。



近鉄の高架沿いの走り易い道。
さて、帰路を急ぎますか!




奥深い京都の歴史。
知れば知るほど、見れば見るほどに驚きの連続。
京都って、本当に奥が深いです。
そして、近場って本当に素敵!



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