今日は、京都市街のお寺めぐりをしました。
最初に西国33ヵ所めぐりの3つのお寺に、そして次には今まで行きたかったのに行けなかったお寺を目指しました。

本日の走行距離、約60km。(正確には59.23km)

2005年8月12日(金)




自宅を出発し、まずは清水寺を目指します。
五条坂を東進。
でもよく考えると、ウエストポーチにいつも入れていたモスラ号のカギは青森行きでウエストポーチから出して机の上に置いたままでした。
長時間の駐輪はできないので、Uターン。



清水寺行きを断念し、つぎに六角堂へ。
六角堂付近に着きました。
六角堂に来たら、いつもここに寄ります。
この写真は、六角堂がビルのガラスに映っているのではありません。
ビルの向こうの六角堂が、ビルのガラス越しに烏丸通から見えているのです。
ビルができてからも烏丸通から六角堂を見えるようにするための工夫だと思いますが、素晴らしい知恵です。



六角堂境内へ。



朱印を押しもらいます。



朱印を押してもらってから、境内を参拝。



本堂前から六角通りを望む。




かわいいお地蔵様。



六角堂を後にして、次は革堂(こうどう)へ。



革堂境内へ。



まずは、朱印をいただきます。



朱印をいただいた後、境内を巡ります。



百体地蔵尊。



革堂入り口にある石碑。



革堂をを後にして、更に北上。
見覚えがある場所に来ました。



TOMさん&BINさんツアーで案内してもらった、政令指定都市・京都の市街地ど真ん中にある水車でした。



観音寺着。



この観音寺の門は、桃山時代最大の城である伏見城の牢獄門であったと伝えられています。
写真右にあるくぐり戸は、「百たたきの門」と言われています。
秀吉の没前、繰り返しの築城や朝鮮侵略などのための徴税で庶民の暮らしは悪化し、横行する盗賊で牢獄は溢れかえっていました。
重大犯罪でない罪人は くぐり戸を出てから門前で鞭で100回たたかれてから解放されました。
でも体が弱っている罪人も多く、せっかく くぐり戸から出られても、100たたきで亡くなってしまう罪人もいました。
「観音寺の前を通ると泣き声が聞こえる」という噂がそのうちに立つようになりました。
噂を聞きつけた住職が夜にくぐり戸をそっと見ていると、風もないのに戸がキィ〜っと動き、そして苦しそうな人の声が・・・・。
それを見た住職はこの門を出た直後に命を落とした罪人の供養のため、100日間食を絶ち門前で念仏を唱え続けました。
それが功を奏したのか、供養が終わるとそれ以来人の声が聞こえたり門が勝手に動くことはなくなりました。
でも今に至っても、この牢門が開けられることは決してないのです。



観音寺を後にして、光清寺へ。
ここ光清寺は、「浮かれネコの絵馬」があります。
この絵馬は、伏見宮が江戸に移った時にここに運ばれてきたと言われています。
今では昼間でも静かなこの辺り一帯。
昔はここ光清寺などに参拝する人で賑わっていました。
でも、その賑わいも昼間だけ。
夜になると、人気はまばら。



ここ光清寺に、いつしかおかしな噂が立ちだしました。
「誰もいない境内から、時々三味線の音が聞こえる」と。
ある夜、酒に酔って通りがかった男が聞こえてきた三味線の音を聞いて、「一体誰が三味線を引いているんだろう。」と不思議に思い、境内へ入って行きました。
すると不思議なことに、弁天様のところで白い着物を着た天女が踊りを踊っているではありませんか。
「うわ〜!」と男が大声を出すと同時にその天女の姿はかき消すように消えてしまい、その跡には一匹のネコが・・・・。
それ以来ここ光清寺は、「浮かれネコの仕業で三味線と歌が聞こえるんだ」とささやかれるようになってしまいました。
案じた住職は、ネコを封じ絵馬に金網をかぶせました。
するとおかしなできことはピタリと収まりました。
ところがある夜 住職の夢の中で男が現れ、「もう二度と騒いだりしないので、のびのびと過ごさせてください。封印をどうぞお解きください。」と切々と訴えました。
住職は、夢枕に出てきた男の要求に答え、封印を解きました。
封印を解いても夢の中の男の言葉どおり、おかしなことはもう二度と起こらなくなり、そしてここ光清寺は、「ネコも踊りだすほど三味線がうまくなる」と言われ、参拝者が押しかけたそうです。
昔々のお話。
今の光清寺は、ひっそりと静かです。



光清寺を後にして、地蔵院(椿寺)へ。
昔々、この辺りで深刻な水不足が起きて水争いが勃発。
乱暴でみんなから嫌われ者だった男が、紙屋川の水をみんな自分の田んぼに入れてしまったのですが、何をしでかすか分からない男が怖くて誰もが黙っていいるしかありませんでした。
その頃、見知らぬお坊さんをこの辺りで見かけるようになりました。



見知らぬお坊さんが現れて数日後、そのお坊さんは水を独り占めしている乱暴な農民に「水を他の人にも分けてあげたらいいのに。」と声をかけました。
すると乱暴者は立腹し、「やかましい!」と言って手に持っていた鍬でお坊様を力いっぱい殴りつけました。
腕っ節の強い男に鍬で殴られたお坊様は、頭と顔から血がダラダラと流れ出る深い傷を負ったにもかかわらず、「分からぬのですか。かわいそうな人ですね。」と言って、まるで怪我などしていないようなしっかりとした足取りでその場を立ち去りました。
不思議に思った乱暴者が、手に血だらけの鍬を握ったままお坊様の後をそっと追いかけていくと、お坊様の姿はこの地蔵堂の中にすっと消えました。
地蔵堂にズカズカと踏み込んだ男は息を呑みました。
目の前のお地蔵様の顔と頭から、ダラダラと赤い血が流れているではありませんか。



「お、お許しください。」と叫んで、男はその場にひれ伏しました。
それ以来、男は改心しました。
そんなことがあってからこの辺りでは、どれだけ日照りが続いても誰一人 紙屋川の水を独占することはなくなりました。いくら日照りが続いてもみんなで仲良く水を分け合ったとか・・・・・・。
それ以来、ここ地蔵堂のお地蔵様は「鍬形地蔵」と呼ばれるようになりました。
昔々。
私達が生まれるより、もっともっと昔。
はるかに遠い昔のお話・・・・・・。



帰ろうと思って走り出して少しして、こんなお寺の前に来ました。
京都には「達磨寺」(法輪寺)なんてのがあったんですね。
全く知りませんでした。



山門は閉まっていますが・・・・・。



山門横は駐車場。駐車場から境内へ行けそうだったので、少しだけ境内に寄ってみることにします。



境内は、どうやら300円の有料ゾーン。
2ヶ所のお寺で白衣2枚と朱印帳2冊に朱印を押してもらったので、財布の中身は、300円未満。
音を立てずにそっと境内を周ります。
達磨さんを少しだけ見て境内から出ようと駐車場へ向かうと、前から住職がバイクでお帰り。
そして、私の背後からは住職のバイクの音を聞きつけた奥さんが外に出てきて「お帰りなさい!」。
「わたしあせりましたわ。」でっす。
「わたしあせりましたわ。」ってことばを、左から読んだ後に右から読んでも全く無意味ですので念のため。<m(__)m>



達磨寺の向かいには、「竹林寺」というこんなお寺が。



時間はもうかなり遅いのですが、まだ山門は開いています。



竹林寺の解説。
平野二郎ほか、池田屋事件などで新撰組に捕らわれ未決のまま斬殺された37名の墓所がここだとか。



墓所が確かにありました!
今まで全然知らなかった「竹林寺」という場所。
今日のの走りで、またまた京都の歴史の深さをうかがい知ることができました。



竹林寺の説明版と石碑。



竹林寺を後にして、京都駅近くまで戻ってきました。
輪形地蔵着。



ここ輪形地蔵の本堂は、何と伏見桃山城の遺構だと言われています。
伏見城の遺構は、かなり多くあちこちにあるんだなあって改めて実感。



京都駅。



京都駅をズーム!



更に南進し、伏見まで戻ってきました。



レトロチックな建物。



まだ明るいですが、今日ももう足元の灯篭に灯りが・・・・。



素晴らしい雰囲気の伏見!
さて、帰ろうっと。





「知っているようで実はあまり知らない京都」。
そのことを実感する、今日一日の走りになりました。



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